作為と「まやかし」2009/04/17

 ある意図の下に積極的に何かを行おうとすることを「作為がある」とか「作為的」といいます。その結果、誰かにケガを負わせれば傷害罪となり、他人の財産を失敬すれば窃盗罪となります。いずれも作為によって犯罪が成立するため作為犯と呼ばれます。多くの犯罪がこれに該当しますが、誰も作為に気づかず、すぐに目立った被害もなければ(被害があっても限定的であれば)、これを犯罪に数える人はいません。
 他人を欺くことも作為のひとつです。よく「ごまかす」とか「ごまかされた」という話を耳にします。これは内容が伴わないのに目先の印象をよくしたり、見せかけだけよくすることを指しています。その代表的な例が化粧によって年齢を実際より若く見せることでしょう。
 もうひとつ「まぎらかす」という方法もあります。これは区別をわざと曖昧にしたり、非常に似通った表現を使ったり、よく似た体裁を施して識別を困難にすることです。わざと紛らわしくして「ごまかすこと」と言い換えてもよいでしょう。これが「まやかし」の意味として一番近いように感じます。「ごまかし」も「まやかし」も江戸時代後期までは遡ることができます。しかしその先については特に後者の場合、杳(よう)として知れないところがあります。
 不定期ですが、その時々に感じた「まやかし」について綴って参ります。お読みいただければ幸いです。

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