■存在感--新釈国語2009/06/22

 何かがそこに紛れもなく存在しているということを思わせずにはおかない感じ。主に人についていう。その人物の何が存在感の因(もと)になるのかは人それぞれで異なる。一般的にはその人物が醸し出す独特の味わいに因(よ)ることが多そうだ。近年、大臣の影が薄い。名前も顔もまるで思い出すことができない。頻繁に替わるせいもあろうが何より存在感のない政治家が増えたせいではないだろうか。各省庁が発表している歴代の大臣名を見ても、顔どころか名前も業績もさっぱり知らない人が並んでいる。単に存在感があればいい、大きければいいというものでは決してないが、こうも小物ばかり並ぶと政治の疲弊が案じられる。
 それはまた家族における父親の存在についても同様である。但し父親の存在感は政治家のそれとは異なる。原因は小物だからとか働きが悪いからというような問題ではない。原因の半分は母親にある。国民が大臣を選ぶことはできないが、子供が父親を選ぶことはできないが、母親には明確に伴侶選びの責任がある。そのことを忘れて父親の存在だけを議論しても始まらない。

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