◎カルガモの下見--都会の田圃(5) ― 2009/07/10
昨日までただの水面だった田圃に稲が植えられ、風景が一変しました。もう耕耘機のエンジン音が響くこともありません。そんな様子を確かめに早速、一羽のカモがやってきました。下見の報告を待つ、もう一羽のカモは近くの小川にでも来ているのでしょうか。
以前この田圃で遊んでいたカモたちの様子は下記のページでご覧ください。
⇒http://atsso.asablo.jp/blog/2009/06/22/ かもさん おとおり--夏便り
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■政治責任--新釈国語 ― 2009/07/10
政治家が負うべき責任のひとつ。どのような意図でその主張がなされ政策の実現に向けてどのような努力が傾注されたかなど結果に至る過程を一切勘案することなく、全ては自らの政治指導に基づく結果であるとして、結果の内容・成否についてのみ責任を負うこと。人間の社会には単純な理屈や理論だけでは推し量ることのできない様々な感情や利害などの人的要素がつきまとうため、常にそれぞれの状況に応じた現実的な対応が求められる。これを経験や新たな工夫によって極力摩擦を少なくする方向で調整し処理するのが政治であり、それに携わるのが政治家と呼ばれる人々である。結果に向けて採られた策のひとつひとつ、過程ごとの場面を論じていては最大多数の満足は得られない。そこで政治家には最大多数の満足という結果の実現だけを期待し、それが得られたかどうかという一点のみに責任を集中させることにした。群れをつくり、社会という集団の中で生きることを選んだ人類がその円滑な運営を図るために編み出した知恵のひとつである。
●卜部(ぼくのと・2画) ― 2009/07/10

卜(ボク)とは古代中国で行われた亀甲占いのことである。牛の骨や亀の甲などを火にかざすと表面に音を立てて割れ目が走る。この形状などを見て吉凶を判断した。卜は縦横に走る割れ目をかたどったものである。卜部はそうした占いに関係する代表的な文字を収める部首である。まず単独の卜は姓氏の卜部(うらべ)に用いられる。占部とも記されるが古代日本にあって神祇官に属し、占いを司る仕事に従事した人々である。この姓はその子孫に受け継がれて今日に至っている。次に占(セン)。これは卜と口とで構成され、口は問いかけを表す。気がかりなことの行く末や如何に、と亀甲に問いかけ火にかざして占うときの口の意である。次に、当たるも八卦の卦。これは「ケ」が呉音、漢音は「カ」である。ほかにも無上の宝物を意味する卞和の璧(ベンカのたま)の卞(ベン)がある。但しこれは卜は含んでも占いには無縁とするのが通説のようだ。
不思議なのは卞を卜部としながら、これとほとんど同形の下を卜部には含めないことだ。下は一(イチ)の仲間である。どうも部首という仕組み・方法には、現代人の乏しい漢字知識では及ばないところがいくつもあって苦労する。朴訥(ぼくとつ)とか朴念仁(ぼくねんじん)というときの朴も、内外の外も卜部には分類されない。前者は木偏、後者は夕(せき)部である。前者はともかく後者の卜は明らかに占いに関係して生まれた文字である。だが夕に捕られてしまった。夕とは月のことである。
不思議なのは卞を卜部としながら、これとほとんど同形の下を卜部には含めないことだ。下は一(イチ)の仲間である。どうも部首という仕組み・方法には、現代人の乏しい漢字知識では及ばないところがいくつもあって苦労する。朴訥(ぼくとつ)とか朴念仁(ぼくねんじん)というときの朴も、内外の外も卜部には分類されない。前者は木偏、後者は夕(せき)部である。前者はともかく後者の卜は明らかに占いに関係して生まれた文字である。だが夕に捕られてしまった。夕とは月のことである。
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