○朝焼け--梅雨明け(2)2009/07/15

 昨日、梅雨明けしたと発表された関東地方ですが、このまま晴天が続くでしょうか。写真は郊外で見た今朝の朝焼けです。俗に朝焼けは雨と言われます。まだ天気予報は聞いていませんが、外出予定のある身には気になります。
 東京の今朝の日の出は4時36分でした。その少し前に撮影しています。朝焼けは何故か夏の季語です。盛夏の頃に顕著とも聞きますが、やはり気になるのは天候との関係です。今日はもう1回、お口直しに梅雨明け(3)をご覧に入れます。20時過ぎの予定です。

  朝焼けに鞄の傘をたしかめて  まさと

■逆風2009/07/15

 自分が進もうとしている方角から吹いてくる風。向かい風ともいう。進行の妨げになるだけでなく、逆に押し戻されて後退を余儀なくさせられることもある。風は空気の流れであり、一般には気圧の差によって発生する。また、この現象を擬人的にとらえて、ある人や組織などに対して社会全体が見せる態度を風と呼ぶことがある。政治の世界でしばしば用いられ、逆風はその政治家や政党に対して世間の目が冷たく厳しいことをいう。逆に世間が背中を押して応援してくれることは追い風と呼ばれる。何故、政治用語が漢語と和語の使い分けを行うかは不明。なお古くは「むかふかぜ」と呼ばれたこともある。

 ⇒http://atsso.asablo.jp/blog/2009/06/02/ 風待草090602

○スグリ熟して--盛夏2009/07/15

 先月、スグリの写真を掲載したことがある。まだ青々とした文字通りの酸っぱい実が生っているものだった。それから一月近く経って、また同じ場所を訪れる機会があった。もうないだろうと思って覗いたら熟したスグリの実がそのまま枝に付いていた。昔は、こんなに熟するまで放っておかれることはなかった。どんなに人目に付きにくい場所と思っても必ず誰かが見つけて食べてしまった。
 どうやら最近の子ども達はスグリの実などに興味がないらしい。その原因が学校や家庭による道草の禁止にあるのか、それとも塾通いや稽古事に忙しくて道草をする暇がないのか、気になった。翌日その話を知人にしたら、「それは違うよ。子どもがいないだけだよ」と笑われた。そう言えば前回も今回も、子どもの姿はただの一度も見なかった。

 ⇒http://atsso.asablo.jp/blog/2009/06/22/ スグリ酸っぱし

○無駄花(11)--夏野菜2009/07/15

 茄子はいくら肥料をやっても構わない。やりすぎになることがない。そう教わって、苗の植え付け前に畝を深く掘り起こし、堆肥をしこたま入れた。追肥も惜しみなく与えた。そのせいか生り始めるとどんどん実が付き、木の根元は太くなり、丈も伸びて枝を広げた。そうなると間隔が問題になる。そこまで育つとは予測していない。仕方なく高い支柱を根元以外にも株と株との間に立て、縄を張って、それで枝を釣り上げた。
 隣家の奥方も庭の隅で茄子をつくっている。こちらは畝は高いが、木はさほど高くならない。全体にこぢんまりとして枝もさほど茂ってはいない。しかし茄子だけはびっしり生っている。文字通りの無駄花なしを実現させている。そして特大まで育てようとしないで早め早めに収穫している。
 よく見ると、根元には黒いポリエチレンフィルムを被せている。聞けば追肥は、一通り生り終えて花の数がほとんどなくなる8月初めに、枝を刈り込んだ後に与えるだけだという。こうすることで新しい枝がまた芽を出して花を咲かせ、秋茄子が楽しめるという。どうやら茄子は胡瓜と違って、作り手の腕に合わせてお返しをしてくれる植物のようだ。
 写真は丸茄子の一種を撮したものである。一切消毒をしないので葉の一部が黄色くなっている。害虫のせいか病気のせいかは分からない。この茄子は厚めの輪切りにしてたっぷりの油で焼き、砂糖を多めに入れた味噌ダレを付けて食べる。京都郊外の綾部や亀岡で栽培される京野菜の賀茂茄子と同じ品種のはずだが、食べ比べると作り手の腕の違いがよく分かる。素人はつい大きくすることばかり考えて失敗するようだ。(つづく)

◎カルガモその後--都会の田圃(10)2009/07/15

 先月紹介した3羽のカルガモのその後が分かった。22日の写真に写っているのは1羽の雌とそれを追う2羽の雄だった。結局1羽の雄は振られてしまった。そしてニホンザルの群れ風に言えば迷い鴨となり、今のところ伴侶に恵まれないまま1羽で過ごしている。それが今日の写真の雄である。昨今の日本社会の現実を知ると、とても他鴨事(ひとごと)とは思えない。(終)

 ⇒http://atsso.asablo.jp/blog/2009/06/22/ かもさん おとおり--夏便り

○桔梗花1--梅雨明け(3)2009/07/15

 子どもの頃、桔梗は貴重な花だった。8月のお盆が近づくと、山へ採りに行かされた。半日も野山を探し回って、それで4~5本も採れれば上々だった。1本か2本という年も少なくなかった。お盆の祭壇は左右一対に飾るため必ず偶数にする必要があった。あと1本見つけるのに、こんなにも苦労させられた花も珍しい。6本なら「ご苦労」と誉められ、4本なら「今年は仕方ない」と言われ、3本以下は「もう一頑張り」と励まされた。
 余分に採れたときは近所へ持っていった。逆にもう少しというときはまず近所に聞いた。花の持ちがよいので8月に入って見つけると、蕾になっているものだけを採って持ち帰った。そしてお盆まで、水を張ったバケツに入れて保存した。
 宿根草だから「根ごと掘り採って畑か庭の隅にでも植えておけばよいのに」と思う人がいるかも知れない。しかし山から里に移すと開花の時期が早まり、お盆の前に散ってしまう。昔の人はそういうことをよく心得ていて、むやみに移したりはしなかった。近頃は園芸店でも販売され、郊外の住宅の庭などに見かけることが多くなった。その分、野山に咲く花の数が減ってはいないかと案じられる。

◎一歳児(6)2009/07/15

 日本人の寿命が驚異的に延びた一方で、見かけは普通でも排泄の感覚が麻痺してしまうお年寄りが増えた。自分では小便や大便の始末ができないため、どうしても周りに苦労を掛けることになる。そのお陰なのか、あるいはその逆なのかは知らないが、近頃のオムツは至極快適にできている。付けて快適なだけではない。オムツをしていることが分からないくらいに薄い。初回の記事には書かなかったが、竹ちゃんの子どもの年齢が分からなかった理由のひとつはこのオムツの薄さにある。顔立ちが幼児を思わせ、お尻もすっきりしているとなると、どうしても3歳ぐらいの子どもを想像してしまう。
 子どものオムツの進化はこれだけに止まらない。最近は乳児でもプールに入れて遊ばせる。昔だったら何も付けずにすっぽんぽんだったと思うが、今は専用の水着オムツがある。思わずお漏らしをする子も多いはずだが、プールを汚すことはない。商売熱心なスイミングスクールが乳児の時から水に慣れさせましょう、水に親しみましょうと顧客増やしに努め、それに合わせて開発した商品らしい。
 しかし決してよいことばかりではない。知人の幼稚園長は入園の条件にオムツの非着用を挙げている。年少組に入る3歳までに排泄のしつけを完了させてくださいと親に要求している。ところが、この快適オムツが災いになって、しつけがうまく進まない事例が出ているという。幼児本人がオムツをいやがったり、オムツに大小便をしたら気持ち悪がることが排泄のしつけの要点である。子どもがそう感じ始めれば程なくしつけは完了する。睡眠中もお漏らししまいとするから眠る前にトイレへ行く。
 ところが普通のパンツと変わらない履き心地があって、お漏らししても不快感がない、そんな便利なオムツを使い出したらいつまでたっても卒業する必要もないし、卒業しようとも思わなくなってしまう。お年寄りもオムツを付けるまでは嫌がり激しく抵抗もするが、一度その使い心地を知ってしまうとあとは坂を下るように羞恥心も失せ、排泄の感覚も一層麻痺し、益々老いてゆくという話もある。
 子犬を持ち出すのはどうかと思うが、あんな小さな幼い犬でさえしつければ家の中では必死になってオシッコを我慢する。同じことが人間の子にできないはずがない。あまり便利な新製品に頼るのは結局、しつけの手を抜くのと同じことになる。個人差はあるにしても、オムツが取れる取れないの差は何よりも、幼児本人が自分が出した汚物をどう感じるかだといことをもっと知る必要があるだろう。(つづく)