○ほおずき2--梅雨明け(6) ― 2009/07/19
歴史的仮名遣いでは「ほほづき」と記す。「ほおずき」では何のことか分からぬが、「ほほづき」なら意味が見えてくる。この語について考えるとき、ちょうど1000年ほど前に成立した随筆「枕草子」を忘れることはできない。作者は一条天皇の皇后に仕え、才媛と謳われた清少納言である。ほおずきにはことのほか関心を寄せていたのではないかと想像される。216段には「酸漿」が、また64段には「ぬかつき」が見え、後述するように他にも記述が確認されている。「酸漿」はほおずきの漢名であり、当時は「ぬかつき」あるいは「ぬかづき」とも呼ばれていた。
ところで「ほほ」も「ぬか」も顔の一部である。前者は頬であり、後者は額の意になる。では、それらの「つき」とは何だろうか。ほおずきの朱色に熟した実を袋から取り出し、実の中に詰まっている白い粒々の種子を実の外皮を破らないように上手に取り出して風船状にする。子どもの頃はこれを膨らましたり、口に含んで鳴らしたりして遊んだ。そのとき子どもの赤い頬が膨らむ。「ほほづき」ならこうした頬の様子を顔つきに準ずるものとして浮かべることも可能だし、何より朱色の袋が赤い頬のようでもある。
一方「ぬかつき」の場合は、額の様子という解釈では今ひとつ合点がゆかない。ほおずきを額にたとえる理由が明確ではない。この鍵も実は「枕草子」にある。清少納言はこの随筆の中で「ぬか」という語を3回登場させ、ひとつはほおずきの意に、残り2回は額突きの意に用いている。額突きとは丁寧なお辞儀の意であり、額を地面に突き立てるように深く頭を垂れるお辞儀をいう。つまり、ほおずきの実の生り様・袋が幹からぶら下がる様子をたとえたものと考えられる。
写真は昨日の花が受粉してできる、まだ青い袋の様子である。袋の中にはやはり青い実がひとつ付いている。(つづく)
ところで「ほほ」も「ぬか」も顔の一部である。前者は頬であり、後者は額の意になる。では、それらの「つき」とは何だろうか。ほおずきの朱色に熟した実を袋から取り出し、実の中に詰まっている白い粒々の種子を実の外皮を破らないように上手に取り出して風船状にする。子どもの頃はこれを膨らましたり、口に含んで鳴らしたりして遊んだ。そのとき子どもの赤い頬が膨らむ。「ほほづき」ならこうした頬の様子を顔つきに準ずるものとして浮かべることも可能だし、何より朱色の袋が赤い頬のようでもある。
一方「ぬかつき」の場合は、額の様子という解釈では今ひとつ合点がゆかない。ほおずきを額にたとえる理由が明確ではない。この鍵も実は「枕草子」にある。清少納言はこの随筆の中で「ぬか」という語を3回登場させ、ひとつはほおずきの意に、残り2回は額突きの意に用いている。額突きとは丁寧なお辞儀の意であり、額を地面に突き立てるように深く頭を垂れるお辞儀をいう。つまり、ほおずきの実の生り様・袋が幹からぶら下がる様子をたとえたものと考えられる。
写真は昨日の花が受粉してできる、まだ青い袋の様子である。袋の中にはやはり青い実がひとつ付いている。(つづく)
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。