◆政界引退の美学 ― 2009/07/21
政治と美学は本来無縁な言葉である。政治に美学は無用だし、美学に政治が顔を出すこともない。隔絶した世界において全く別々に、異なる価値観を持って語られる言葉である。これが本来の姿である。しかし過去にはそれを結びつけて考えたり、混同したあげくに物騒な行動まで起こして命を失った三島由紀夫のような例まである。用心するに越したことはない。
衆議院がようやく解散して総選挙の日程が決まった。旗色は与党不利との専らの評判である。選挙区に帰っても出るのは苦情ばかり、なかなか激励の声を上げてくれる人はいない。同僚議員からは「迂闊に街頭演説もできない。うっかり街頭に立ったら罵声を浴びせられた」という気の毒な話まで聞こえてくる。元々それほど選挙上手というわけでもないし、女房にも苦労をかけた。この辺が引退の潮時かなと考える古参議員も少なくない。
それに、よく考えたら武部の奴、この次からは世襲は認めないと言っていた。あいつが9月に永田町に戻って来られるとも思えない。だが、若い連中が訳も分からずに世襲廃止を実行することは十分予測できる。となると、ここは上手い口実を考えて今のうちに引退した方が賢明だ。影響力も残せる。子どもはまだ若い。どっちにしろ俺が面倒見ないことには永田町の右も左も分からない。
前にも一度苦杯を嘗めたことがある。あのときは俺も若かった。派閥のボスに煽(おだ)てられ、女房には迷惑をかけてしまった。だが今度はそうもいかない。第一、落選してからの引退では格好が付かない。後援会長だって困るだろう。しかし俺の方から言い出せば精々、先生弱気ですねと陰口を叩かれるぐらいだ。問題にはならん。これで地盤も看板もすんなり子どもに譲り渡せる。万一、落選したって子どもなら傷がつかない。この逆風だし、後援会の頑張りが足りなかったという話で終わる。
それに運がよければ世代交代の波に乗ることだってあり得る。女房の話では、俺のことをジミー君とか何とか呼ぶ奴がいたそうだ。パフォーマンスが足りないとか、もっとテレビに出て欲しいとか、地元の連中も困ったものだ。俺の苦労も知らないで。あそこの橋も、あの道も、あの下水道も、あの建物もみんな俺がいたからこその話ではないか。それなのに…。まあそんなことは、この際どうでもいい。
子どもなら若さを売り物にできる。野党の候補者もまだ若い新人だ。うん、そうしよう。おい君、急いで何か政界引退の口実を考えて、記者連中を集めてくれ。
衆議院がようやく解散して総選挙の日程が決まった。旗色は与党不利との専らの評判である。選挙区に帰っても出るのは苦情ばかり、なかなか激励の声を上げてくれる人はいない。同僚議員からは「迂闊に街頭演説もできない。うっかり街頭に立ったら罵声を浴びせられた」という気の毒な話まで聞こえてくる。元々それほど選挙上手というわけでもないし、女房にも苦労をかけた。この辺が引退の潮時かなと考える古参議員も少なくない。
それに、よく考えたら武部の奴、この次からは世襲は認めないと言っていた。あいつが9月に永田町に戻って来られるとも思えない。だが、若い連中が訳も分からずに世襲廃止を実行することは十分予測できる。となると、ここは上手い口実を考えて今のうちに引退した方が賢明だ。影響力も残せる。子どもはまだ若い。どっちにしろ俺が面倒見ないことには永田町の右も左も分からない。
前にも一度苦杯を嘗めたことがある。あのときは俺も若かった。派閥のボスに煽(おだ)てられ、女房には迷惑をかけてしまった。だが今度はそうもいかない。第一、落選してからの引退では格好が付かない。後援会長だって困るだろう。しかし俺の方から言い出せば精々、先生弱気ですねと陰口を叩かれるぐらいだ。問題にはならん。これで地盤も看板もすんなり子どもに譲り渡せる。万一、落選したって子どもなら傷がつかない。この逆風だし、後援会の頑張りが足りなかったという話で終わる。
それに運がよければ世代交代の波に乗ることだってあり得る。女房の話では、俺のことをジミー君とか何とか呼ぶ奴がいたそうだ。パフォーマンスが足りないとか、もっとテレビに出て欲しいとか、地元の連中も困ったものだ。俺の苦労も知らないで。あそこの橋も、あの道も、あの下水道も、あの建物もみんな俺がいたからこその話ではないか。それなのに…。まあそんなことは、この際どうでもいい。
子どもなら若さを売り物にできる。野党の候補者もまだ若い新人だ。うん、そうしよう。おい君、急いで何か政界引退の口実を考えて、記者連中を集めてくれ。
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