特集・アジサイの季節(6)2009/06/08

 このお寺、シーボルトが来日した頃は谷戸を占める禅興寺という大寺の塔頭(たっちゅう)に過ぎませんでした。しかも明治の初めには御多分に洩れず、全国的に吹き荒れた麻疹(はしか)のような廃仏毀釈の騒ぎの中で禅興寺は廃寺となり、境内は荒れ果ててしまいました。
 それから数十年の歳月が流れ、静かな谷戸には少しずつ家が建ち、人が移り住んで、近くの駅から電車で東京へ通うサラリーマンの姿も見られるようになりました。その後、太平洋戦争はありましたが、訪れる人もまれな谷戸の奥に余った爆弾を落として帰るような気の利いた飛行機はなかったようです。戦争が終わっても相変わらず谷戸はひっそりと静かなままでした。
 そんな頃、一人の坊さんが境内に紫陽花を植えることを思い立ちました。紫陽花が挿し木によって簡単に増やせることは連載の初回に述べたとおりです。谷戸の湿気も紫陽花の生育に適していたのでしょう。数年のうちに、さほど広くない境内は紫陽花で埋め尽くされてしまいました。そして折からの高度経済成長の波に押されるように、五月も末になると東京や近隣の町々から、紫陽花目当ての見物客がどっと押し寄せるようになりました。お寺が拝観料の徴収を始めたのもその頃でした。これがやがて坊さんの人生を狂わせる因になろうとは誰も夢にも思わなかったことでしょう。

  紫陽花は寵衰へて歌名あり  永田青嵐

コメント

_ 空蝉 ― 2009/06/08 16:26

 お坊様でも道に迷われることがあるのですね〜
今は紫陽花はどうなりましたでしょうか?
お寺やお坊さんの現状は?
気になります。
お酒も女性も程々ならば宜しいですのにね〜

_ まさと ― 2009/06/08 18:33

お目に止まり恐縮いたします。寺の恥は檀家の恥でもあります。現住の迷惑にならないよう十分注意して書いたつもりです。
地方の小さな寺が檀家不足で廃れる中、観光地の寺の中には檀家など無視して観光収入や墓地の造成に活路を見いだすところもあるそうです。みんな、生きるためにはなりふり構わずということでしょうか。
仏様にお仕えする身とは言っても、ご飯も食べれば厠にも行く生身の人間です。多分俗界と同じで、きれいな女性(にょしょう)やお金持ちが大好きなはずです。空蝉様、くれぐれもご用心遊ばしませ。

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