○グミ(1)--夏便り ― 2009/06/21
グミは植物図鑑などにはグミ科グミ属の植物の総称と記されている。グミ科グミ属というのは、どうやら赤い実を付ける植物をいうものらしく、その実がいつ熟して赤くなるかは問わないようだ。子どもの頃よく木に登って食べたのは6月に赤くなるタワラグミだった。危ない落ちると叱られたのも、食べ過ぎて糞詰まりを起こしたのも、実の選択を誤ると口がひん曲がるほどに渋くなったのも、このグミである。その形が俵を思わせることからタワラグミと呼ぶのだろうが、秋に熟すものと区別する意味でナツグミとも呼ばれる。
また地方によってはダルマグミと呼んでいるところもある。これはその色による呼称であって、決して形に由来する名称ではない。一般に語源辞典などと称するものは元々が胡散臭い、売らんかなが目的の商品である。インターネット上の語源辞典はそのほとんどがこうした商品を下敷きにして孫引きと曾孫引きを繰り返し、その上に予断と推測を織り交ぜて、無検証無責任につくり上げられている。
だから閲覧はしても、無闇に信じ込んではならない。眼に触れたらまず自分の頭で考えてみることが大切だ。矛盾や飛躍がないか、不自然な説明はないか、説明や論理に無理がないか必ず検討してみることだ。そうすれば、それらの情報がいかに安易につくられているか分かるだろう。(つづく)
また地方によってはダルマグミと呼んでいるところもある。これはその色による呼称であって、決して形に由来する名称ではない。一般に語源辞典などと称するものは元々が胡散臭い、売らんかなが目的の商品である。インターネット上の語源辞典はそのほとんどがこうした商品を下敷きにして孫引きと曾孫引きを繰り返し、その上に予断と推測を織り交ぜて、無検証無責任につくり上げられている。
だから閲覧はしても、無闇に信じ込んではならない。眼に触れたらまず自分の頭で考えてみることが大切だ。矛盾や飛躍がないか、不自然な説明はないか、説明や論理に無理がないか必ず検討してみることだ。そうすれば、それらの情報がいかに安易につくられているか分かるだろう。(つづく)
■どんづまり解散--新釈国語 ― 2009/06/21
解散とは議会において議員全員に対し、任期満了前にその資格を消滅させることをいう。国会では任期4年の衆議院のみに認められ(憲法第7条)、衆議院が内閣不信任案を可決するかまたは信任案を否決した場合は内閣が総辞職しない限り解散となる(同第69条)。この場合、議員は全員がその資格を失う。解散があると、その日から40日以内に衆議院議員の総選挙を行い、さらに選挙の日から30日以内に国会を召集しなければならない(同第54条1)。
日本国憲法が公布された1946年(昭和21)11月3日以降で見ると、翌47年3月31日の第1次吉田内閣による解散が「新憲法解散」と呼ばれたように多くの場合、何らかの通称をもって呼ばれている。前回2005年(平成17)8月8日の解散は当時の小泉首相みずから「郵政解散」と呼んで、直後の総選挙における圧勝要因に仕立て上げた。
2009年に予定される総選挙が任期満了にともなうものとなるか、その前に解散があるかは今のところ不透明だが、通称として予想される言葉のひとつが「どんづまり」である。任期切れが近づき、政策面でも党内掌握の面でも手の打ちようがなくなったことを示す。行き詰まり、行き止まり、手詰まりもほぼ同じ意である。ほかにも有り体に表現した「破れかぶれ解散」や漢語風の「破滅解散」などが候補として有力視される。
因みに過去の通称から参考になりそうなものを拾うと「なれあい解散」(1948年12月、第2次吉田内閣)、「抜き打ち解散」(1952年8月、第3次吉田内閣)、「バカヤロー解散」(1953年3月、第4次吉田内閣)、「天の声解散」(1955年1月、第1次鳩山内閣)、「死んだふり解散」(1986年6月、第2次中曽根内閣)などがある。
日本国憲法が公布された1946年(昭和21)11月3日以降で見ると、翌47年3月31日の第1次吉田内閣による解散が「新憲法解散」と呼ばれたように多くの場合、何らかの通称をもって呼ばれている。前回2005年(平成17)8月8日の解散は当時の小泉首相みずから「郵政解散」と呼んで、直後の総選挙における圧勝要因に仕立て上げた。
2009年に予定される総選挙が任期満了にともなうものとなるか、その前に解散があるかは今のところ不透明だが、通称として予想される言葉のひとつが「どんづまり」である。任期切れが近づき、政策面でも党内掌握の面でも手の打ちようがなくなったことを示す。行き詰まり、行き止まり、手詰まりもほぼ同じ意である。ほかにも有り体に表現した「破れかぶれ解散」や漢語風の「破滅解散」などが候補として有力視される。
因みに過去の通称から参考になりそうなものを拾うと「なれあい解散」(1948年12月、第2次吉田内閣)、「抜き打ち解散」(1952年8月、第3次吉田内閣)、「バカヤロー解散」(1953年3月、第4次吉田内閣)、「天の声解散」(1955年1月、第1次鳩山内閣)、「死んだふり解散」(1986年6月、第2次中曽根内閣)などがある。
◎アジサイ回顧(1)--夏便り ― 2009/06/21
先週15日に終了した連載記事「アジサイの季節」(全37回)に書き漏らしたことなどを綴ります。
源順が白居易の「紫陽花詩」を「あぢさゐ」と結びつけたことによって日本の知識人がもっていた「あぢさゐ感」が大きく変わった、という筆者の説はすでにご紹介しました。彼がこの植物に注目したのは今から1080年ほど前のことです。白居易が紫陽花(シヨウカ)と名付けた植物の正体が何であるかは本欄の守備範囲を超えます。究明は、その道の専門家に譲るしかありません。ここでは、この花が日本で言うところのアジサイには該当しないだろうという点だけ指摘しておきます。
その理由は、現代中国語でもアジサイには全く別の呼称が用いられているからです。ひとつはよく知られる八仙花 baxianhua(aの音は全て上バー付き)です。この呼称は「羣芳譜・雪毬」に「繍毬木」とか「春月開花、五瓣、百花成朶、團●如毬、其毬満樹」とあってコデマリをも思わせる植物ですが、「花有、紅白二種」ともあるのでアジサイにも用いられています(●の字は国構え+欒)。
もうひとつは綉球花 xiuqiuhua(綉は繁体字、uの音はアクサン付き)です。どちらの呼称も、北京にある対外経済貿易大学と商務印書館が共同編集した「小学館日中辞典」に掲載されています。
源順が白居易の「紫陽花詩」を「あぢさゐ」と結びつけたことによって日本の知識人がもっていた「あぢさゐ感」が大きく変わった、という筆者の説はすでにご紹介しました。彼がこの植物に注目したのは今から1080年ほど前のことです。白居易が紫陽花(シヨウカ)と名付けた植物の正体が何であるかは本欄の守備範囲を超えます。究明は、その道の専門家に譲るしかありません。ここでは、この花が日本で言うところのアジサイには該当しないだろうという点だけ指摘しておきます。
その理由は、現代中国語でもアジサイには全く別の呼称が用いられているからです。ひとつはよく知られる八仙花 baxianhua(aの音は全て上バー付き)です。この呼称は「羣芳譜・雪毬」に「繍毬木」とか「春月開花、五瓣、百花成朶、團●如毬、其毬満樹」とあってコデマリをも思わせる植物ですが、「花有、紅白二種」ともあるのでアジサイにも用いられています(●の字は国構え+欒)。
もうひとつは綉球花 xiuqiuhua(綉は繁体字、uの音はアクサン付き)です。どちらの呼称も、北京にある対外経済貿易大学と商務印書館が共同編集した「小学館日中辞典」に掲載されています。
◎アジサイ回顧(2)--夏便り ― 2009/06/21
次は、橘諸兄によって「やへさくことく」と詠われたアジサイがいったいどんな種類の花だったのかという謎についてです。初めてお読みになる方は下記の記事も参考になさってください。
⇒http://atsso.asablo.jp/blog/2009/06/14/ 漢名探し(4)
万葉時代のアジサイがいわゆるガクアジサイではなく、ヤマアジサイであることは既に指摘しました。しかし八重と聞いて多くの人が浮かべるのは、(1)に掲載したような西洋アジサイです。これがもし万葉時代から日本に存在したとなると、アジサイの歴史は根本的に変わってしまいます。この問題を考えるとき参考になるのが「夫木和歌抄」に収められたアジサイの歌です。まず崇徳院の歌からご紹介しましょう。
紫陽花の四葩の八重に見えつるは葉越しの月の影にこそありける 崇徳院
もうひとつは藤原光俊の歌です。万葉から400年ほど後の、崇徳院と同じ頃に詠まれた作品です。この続きは本日18時頃に掲載します。
⇒http://atsso.asablo.jp/blog/2009/06/14/ 漢名探し(4)
万葉時代のアジサイがいわゆるガクアジサイではなく、ヤマアジサイであることは既に指摘しました。しかし八重と聞いて多くの人が浮かべるのは、(1)に掲載したような西洋アジサイです。これがもし万葉時代から日本に存在したとなると、アジサイの歴史は根本的に変わってしまいます。この問題を考えるとき参考になるのが「夫木和歌抄」に収められたアジサイの歌です。まず崇徳院の歌からご紹介しましょう。
紫陽花の四葩の八重に見えつるは葉越しの月の影にこそありける 崇徳院
もうひとつは藤原光俊の歌です。万葉から400年ほど後の、崇徳院と同じ頃に詠まれた作品です。この続きは本日18時頃に掲載します。
◎アジサイ回顧(3)--夏便り ― 2009/06/21
下野(しもつけ)や籬(まがき)にまじる紫陽花の四葩(よひら)に見れば八重にこそ咲け 藤原光俊
注意していただきたいのは、ふたつの歌に詠み込まれている「八重」の意味です。崇徳院の場合も光俊の場合も、現代の人々が考えるような意味での「八重咲き」ではありません。当時としてはごく普通だった四葩のアジサイを詠っているのです。今風に言えばヤマアジサイかサワアジサイの歌です。それが月明かりのせいで八重に咲いているように見える(崇徳院)とか、四葩に見えるけれども八重に咲いて欲しいものだ(光俊)と詠んでいるのです。諸兄の場合も、「いずれの日かアジサイにも八重に咲く日が来るように」という意味なのです。
今年も日本列島の各地で、色も咲き方も様々なアジサイの花が私たちを楽しませてくれました。これほどまでに普及し愛される草花の背景には、万葉人の時代から連綿と続く美しいものに対する憧れと豪華な八重咲きへの強い期待があるのです。何よりもそれを教えてくれるのが、これらの歌ではないでしょうか。
アジサイの季節は峠を越えました。そのため色はどうしても紫が勝ります。初々しい清純な薄い青や水色の花を好まれる方は今月初めに時計を戻して、その頃の記事をご覧ください。さあ残るはいよいよ「あぢさゐ」の呼称だけとなりました。掲載は28日の予定です。
注意していただきたいのは、ふたつの歌に詠み込まれている「八重」の意味です。崇徳院の場合も光俊の場合も、現代の人々が考えるような意味での「八重咲き」ではありません。当時としてはごく普通だった四葩のアジサイを詠っているのです。今風に言えばヤマアジサイかサワアジサイの歌です。それが月明かりのせいで八重に咲いているように見える(崇徳院)とか、四葩に見えるけれども八重に咲いて欲しいものだ(光俊)と詠んでいるのです。諸兄の場合も、「いずれの日かアジサイにも八重に咲く日が来るように」という意味なのです。
今年も日本列島の各地で、色も咲き方も様々なアジサイの花が私たちを楽しませてくれました。これほどまでに普及し愛される草花の背景には、万葉人の時代から連綿と続く美しいものに対する憧れと豪華な八重咲きへの強い期待があるのです。何よりもそれを教えてくれるのが、これらの歌ではないでしょうか。
アジサイの季節は峠を越えました。そのため色はどうしても紫が勝ります。初々しい清純な薄い青や水色の花を好まれる方は今月初めに時計を戻して、その頃の記事をご覧ください。さあ残るはいよいよ「あぢさゐ」の呼称だけとなりました。掲載は28日の予定です。
最近のコメント