○グミ(2)--夏便り2009/06/25

 最近、多くの大学教師から聞かれる悩みのひとつにインターネット上の「ウィキペディア(Wikipedia)」と呼ばれる無料サイトの利用がある。これを読んでコピーし、ちゃっかり自作のレポートなどに仕立てる者がいて困ると話す。そんな類のレポートには不可と書いて突き返せばよいと思うが、教師の悩みはそれほど単純なものではない。学生がそこに記された、どこの誰が書いたのか論拠も正体も不明な情報をモニターに活字で鮮明に表示されるというただそれだけの理由で頭から信じ込み、全く疑う気配すら見せないことに愕然とするのだという。
 試しにこのサイトを「グミ」で検索し覗いてみた。すると、なるほど低レベルの放射能をまき散らしている。例えば次のような記述がそうだ。

 方言名に「グイミ」がある。グイはとげのこと、ミは実のことをさし、これが縮まってグミとなったといわれる。

 これでは栗の実も山椒の実もみな「グミ」と呼ばれなければならない。こんな内容でもひとつの説にはなるのかも知れないが、これを「フリー百科事典」なる御為ごかしの紛らわしい名称でまき散らすのは公害の垂れ流しも同然の行為だ。個人が好き勝手に記すブログとは違うと思わせるだけ質(たち)が悪い。
 グミの語源を考えるためには、もっと多くの視点から検討しなければ説得力は生まれない。都合のいい方言などを持ち出すのは落語の「愚者は論に負けず」の隠居と同程度の水準だ。落語ブームで絵本にまで落語が登場するとも聞くが、皮相的な一時の現象に批判力の向上や常識の向上を期待するのは欲が深すぎる。
 古代に「くみ」と呼ばれたものの正体は何なのか、そもそも土着の植物なのか、渡来したものではないのか、漢字の茱萸を当てるのは何故か等々多くの謎をひとつひとつ検証して初めて、そこに何か語源に連なるものが影のように浮かんでくるのである。テレビの娯楽番組や商業主義に踊らされるだけの語源好きでは文化の継承も発展も望めない。出版物としての国語辞典も、こうした傾向に与することがないよう十分に警戒しなければならない。(終)

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