◆麻生内閣浮き石論(3) ― 2009/07/24
3:一部が河床を離れ、下を水が流れている石。
麻生が自民党という大きく広い河床に密着するのではなく、総裁総理である自分に対し自民党こそが密着して来るべきだ。麻生は首相就任以来ずっと、本気でそう考えていた節がある。頭の隅にはおそらく小泉元首相の論法や手法があり、党内に国民的人気という点で自分に並ぶ人物がいない以上それは当然のことだと信じて疑わなかった。そこに大きな誤算があった。麻生の人気はさほど高くなかった。
そこへ追い打ちをかけるように次々と身内の不祥事が起こった。まず中山国土交通相が言わなくてもいい日教組批判を打ち上げて港も出ないうちに沈没し、閣僚や内閣の傲慢さと危うさを強く印象づけた。そして党内で独自に行った世論調査の結果を示され、こんなはずではないと麻生は考え込んでしまった。すぐに挽回できると踏んだ麻生はとりあえず未曾有の大不況を理由にして解散を見送り、経済対策で予算をばらまく手法に出た。そして平成21年度の本予算を含む計4回もの予算案を通して人気の回復を図った。がその効果は薄く、内閣支持率は下がるばかりだった。こうして自民党内でも麻生内閣との間に隙間が生じ、塩川や中川と呼ばれる小さな水の流れとなって少しずつ小石などを押し流し始めた。
解散を先延ばしにする際、麻生は自分の内閣が短距離用の小型船舶を使って船出したことをどうも忘れてしまったようである。その性能では果たしていずれかの港に着けるものかどうかさえ危ぶまれる状況に陥っていた。事あるごとに参議院の嵐に遭遇し、そのたびに小泉郵政選挙の遺産である2/3の数に頼っては衆議院で再可決させるしかなかった。その結果、麻生内閣は自民党内だけでなく有権者・国民との間にも大きな隙間が生じ、こうした事態を繰り返すたびにその間隙は拡がっていった。
これに止めを刺したのが中川財務・金融担当相の問題だった。麻生みずから百年に一度と呼んだ大経済不況が黒船のように海の向こうから押し寄せているとき、事もあろうにその担当大臣がローマで世界のマスコミを前に醜態を晒してしまった。酒飲みには理解があるのか麻生は盟友をかばってみせたが中川はついに辞任に追い込まれ、国内はもとより海外からも、お友達や盟友で組織する内閣の無責任ぶりと政治家としての資質を疑われることになった。低劣な事件はさらに鴻池内閣官房副長官によっても引き起こされた。
これでは自民党内に「麻生おろし」の声の上がらない方が不思議であろう。しかし事はそれほど単純ではない。すでに安倍以来3人もの総理大臣を有権者に無断で取り替えた上での騒ぎである。自分たちが麻生を総裁として持ち上げたことへの説明が十分になされない中でまたしても総裁を取り替えれば済むという発想では、有権者・国民と自民党との隙間は補修の効かないところまで拡がってしまう。そのことに気づく議員が極めて少ないところに政党としての自民党の真の危機が潜んでいる。
たまりかねた各派閥の事務総長や党執行部の努力によって麻生は、何とか総理総裁としての体面を維持し解散に漕ぎ着けることができた。しかし、この解散はもはや自民党を再生させるための戦略でも戦術でもなかった。独りよがりの宰相「ぐらぐら太郎」が、とにかく自分の手で解散するという勝手な目標のためだけに存在していた。まさに我(が)を張り通した末の解散劇だった。
解散から投票日まで40日間もある。異例尽くめの長丁場を生かして人気総理が全国遊説し、小泉郵政選挙並みの大勝利を勝ち取るという戦術は未だ描けずにいる。党の支持母体である団体に挨拶回りなどをして時間を費やしているに過ぎない。窮余の策というよりは、お茶を濁しているようにさえ見えてくる。多くの候補者の本音は不人気の伝染を恐れ、遊説依頼を控えることにあった。
麻生が自民党という大きく広い河床に密着するのではなく、総裁総理である自分に対し自民党こそが密着して来るべきだ。麻生は首相就任以来ずっと、本気でそう考えていた節がある。頭の隅にはおそらく小泉元首相の論法や手法があり、党内に国民的人気という点で自分に並ぶ人物がいない以上それは当然のことだと信じて疑わなかった。そこに大きな誤算があった。麻生の人気はさほど高くなかった。
そこへ追い打ちをかけるように次々と身内の不祥事が起こった。まず中山国土交通相が言わなくてもいい日教組批判を打ち上げて港も出ないうちに沈没し、閣僚や内閣の傲慢さと危うさを強く印象づけた。そして党内で独自に行った世論調査の結果を示され、こんなはずではないと麻生は考え込んでしまった。すぐに挽回できると踏んだ麻生はとりあえず未曾有の大不況を理由にして解散を見送り、経済対策で予算をばらまく手法に出た。そして平成21年度の本予算を含む計4回もの予算案を通して人気の回復を図った。がその効果は薄く、内閣支持率は下がるばかりだった。こうして自民党内でも麻生内閣との間に隙間が生じ、塩川や中川と呼ばれる小さな水の流れとなって少しずつ小石などを押し流し始めた。
解散を先延ばしにする際、麻生は自分の内閣が短距離用の小型船舶を使って船出したことをどうも忘れてしまったようである。その性能では果たしていずれかの港に着けるものかどうかさえ危ぶまれる状況に陥っていた。事あるごとに参議院の嵐に遭遇し、そのたびに小泉郵政選挙の遺産である2/3の数に頼っては衆議院で再可決させるしかなかった。その結果、麻生内閣は自民党内だけでなく有権者・国民との間にも大きな隙間が生じ、こうした事態を繰り返すたびにその間隙は拡がっていった。
これに止めを刺したのが中川財務・金融担当相の問題だった。麻生みずから百年に一度と呼んだ大経済不況が黒船のように海の向こうから押し寄せているとき、事もあろうにその担当大臣がローマで世界のマスコミを前に醜態を晒してしまった。酒飲みには理解があるのか麻生は盟友をかばってみせたが中川はついに辞任に追い込まれ、国内はもとより海外からも、お友達や盟友で組織する内閣の無責任ぶりと政治家としての資質を疑われることになった。低劣な事件はさらに鴻池内閣官房副長官によっても引き起こされた。
これでは自民党内に「麻生おろし」の声の上がらない方が不思議であろう。しかし事はそれほど単純ではない。すでに安倍以来3人もの総理大臣を有権者に無断で取り替えた上での騒ぎである。自分たちが麻生を総裁として持ち上げたことへの説明が十分になされない中でまたしても総裁を取り替えれば済むという発想では、有権者・国民と自民党との隙間は補修の効かないところまで拡がってしまう。そのことに気づく議員が極めて少ないところに政党としての自民党の真の危機が潜んでいる。
たまりかねた各派閥の事務総長や党執行部の努力によって麻生は、何とか総理総裁としての体面を維持し解散に漕ぎ着けることができた。しかし、この解散はもはや自民党を再生させるための戦略でも戦術でもなかった。独りよがりの宰相「ぐらぐら太郎」が、とにかく自分の手で解散するという勝手な目標のためだけに存在していた。まさに我(が)を張り通した末の解散劇だった。
解散から投票日まで40日間もある。異例尽くめの長丁場を生かして人気総理が全国遊説し、小泉郵政選挙並みの大勝利を勝ち取るという戦術は未だ描けずにいる。党の支持母体である団体に挨拶回りなどをして時間を費やしているに過ぎない。窮余の策というよりは、お茶を濁しているようにさえ見えてくる。多くの候補者の本音は不人気の伝染を恐れ、遊説依頼を控えることにあった。
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