○トマトと赤茄子2--夏野菜2009/07/26

 明治も中頃生まれの老婆がトマトを指して赤茄子と呼んだことはすでに述べた。この呼称は子どもの頃の遠い記憶となって耳の奥に微かだが残っている。トマトの原産地は南米のペルーかエクアドル辺りだと物の本には記されている。それをスペイン人がまずヨーロッパに運んで普及させ、ついで東インド貿易の発展に伴って東南アジアへ持ち込んだ。そう見るのが至当だろう。種子は小さな粒々で保存が利き、繁殖力も強い。普及に造作も手間も掛からなかった。問題は栽培技術だけだろう。ミニトマトに比べると普通のトマトには気むずかしいところがある。
 この赤茄子よりも古い呼称に蕃茄(ばんか)がある。蕃は繁に由来する字で、草の生い茂る意を表し、転じて未開・未教化の意となり、文明の未だ明らかでない異民族などを指すようになった。つまりもっぱら蛮と同義の字として、正体のよく分からないものや不都合なものを指すときに用いられた。蕃語と言えば異人語であり、蕃書は欧米の書物であった。サツマイモは甘藷とも呼ばれるが、蕃藷と呼ばれたこともある。
 トマトは野菜ではあるが、果物の趣も有している。茎などに独特の臭いがある一方でその実には甘さも感じられる。渡来地は南蛮である。蕃の字を冠するに十分な特徴を備えている。赤茄子は明治になって本格的な栽培が始まるに際し、いくら何でも蕃茄では誰も食べようとはしまいと採用した改称と見るのが妥当だ。それでも普及には長い時間が掛かり、全国的に広まったとされる昭和に入ってもなお先の老婆の例に見るように偏見や迷信がまかり通っていたのである。
 写真はトマトの花である。色はともかく、遠くで茄子の花を感じさせるものがあることも確かだ。(了)

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