●月(つきへん・4画) 12009/07/26

はじめに
 日本国憲法が米国の占領政策に基づく「押しつけられた憲法だ」と主張する人々が今、日本国内にどれくらいの勢力を占めるかは知らぬが、この人達が例えば漢字制限の問題や仮名遣いについて同様の主張をしないのは大変不思議な気がする。なぜなら現在の常用漢字に連なる戦後昭和21年(1946)11月内閣告示の当用漢字表は、第一次米国教育使節団報告書に基づく連合国軍の占領政策の下で実施されたものであり、漢字の全廃と日本語のローマ字化を目的にしていたからである。
 漢字の使用が日本人の教育を妨げ日本の民主化を遅らせているとする教育使節団の一方的な見方を前提に強権的に推し進められた占領政策に、幕末以来文部省内に存在した漢字制限を目指す議論が悪乗りする形で急遽つくりあげたものが当用漢字である。ひとつひとつの漢字についてその成り立ちや字義などを学術的に検証することなく、単に慣用的に使われているというただそれだけの理由で俗字を採用したり、正字の便宜的な代用にすることを内閣が告示によって国民に半ば強制したのである。占領政策が文化政策にまで及ぶことの問題点が何故60年以上も曖昧にされたままなのか不思議でならない。
 今回は「つきへん」をとりあげたが、漢字について多少の知識を持つ人であれば、では「にくづき」はどうするのだろうと疑問を抱くに違いない。戦後の新字体の強制で不明確になったのは実は「にくづき」だけではない。もうひとつ「ふなづき」と呼ばれるものがあることはあまり知られていない。新字体では「つきへん」に統一されてしまった漢字の成り立ちと構成要素について3回に分けて解説する。

1.ふなづき
 呼称の由来は部首である月の字が夕月や肉月ではなく、舟の字にあるとするものである。上図の左が舟月、右が篆文(大徐文)に記された月の字である。部首としての舟月に属する漢字は多くない。舟偏という部首が別にあるため、舟も船もここには属さない。
 誰でも知っているのは朝(チョウ)だが、朕(チン)も明治大正と昭和13年頃までの「教育勅語」世代には馴染みのある文字だろう。もっとも記憶しているのは単なる「チン」という音だけかも知れない。それはさておき、朕は天子の自称でもある。朝は朝廷を表している。そう考えると、舟月は戦後の日本民主化の過程で抹殺されたか、あるいは国体護持派によって密かにその正体を曖昧にされたと見なすことも可能になる。こんな穿った見方もできるほど漢字制限政策としての当用漢字表の告示は粗雑な内容を含んでいた。
 朝は元は艸(ソウ)の間に日を挟む会意文字で、草原に太陽が昇るさまを表している。それが後に艸の部分が省略形の十に変わり、それに岸に至る潮の流れるさまをかたどった人に似た形を加えて夜明けの満潮を表すものに変わり、潮の字の始まりとなった。ところが後に篆文では誤って潮の流れるさまに舟を足してしまったことから今の朝が出来上がったと言われる。なお朝が朝廷を意味するのは古代のまつりごとが朝日を迎えて行うという習わしに由来するものである。
 朕の古い字形を篆文で見ると舟月に火と廾を縦に並べている。舟を造る意との説もあるが、むしろ舟を川上に向かって押し上げてゆく遡るの意だろう。それが自称代名詞に用いられて「われ」の意となり、さらに蓁代以降はもっぱら天子の自称として使われるようになった。他に「きざし」の意もあり、朕兆の熟語が知られる。なお旧字体は天の上が八である。

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