○無垢の花--盛夏2009/07/30

 無垢(むく)は仏教で、欲望・執着など俗情の汚れを去って清浄な境地にあることをいう。いわゆる煩悩(ぼんのう)がないことを示す言葉である。平安初期に空海が書いたとされる漢詩文集「遍照発揮性霊集」((へんじょうほっきしょうりょうしゅう)には「こひねがはくは無垢の眼をほがらかにして三密の源を照らし」と記されている。
 それから800年余を経て、鄙びた東胡(あずまえびす)の里に徳川政権が誕生して江戸と呼ばれる街ができ、天下泰平を背景に庶民文化が花開くと、仏教の言葉にも庶民によって新たな意義が吹き込まれるようになった。もはや人々が物騒な刃に脅(おび)えたり、その犠牲になって命を落とす時代は終わっていた。こうした時代にあって無垢とは例えば吉原の遊女が書く一通の文によって身も心もふにゃふにゃにされるような、そんなうぶな男の形容詞であった。
 大陸の人々が命名した槿花がどんな色の花であったかは不明でも、列島の先人達が見た花はこの写真のような純白な姿であったに相違ない。ムクは無垢の意であり、ゲは花(華)の意である、と言い切って何の疑問も湧かない程に白が眩しく感じられる。そう考えるとき蘂(しべ)の奥に紅をたたえた一昨日のムクゲは、江戸は吉原の遊女と対をなす深窓の生娘(きむすめ)が変じた花のようにも見えてくる。そして、さらにその前日のムクゲが脂ののった年増盛(としまざか)りの女性(にょしょう)にも見えて、煩悩の尽きるところがない。無垢の境地に達するのは、つくづく難しいものだ。

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