●聿部(ふでづくり・6画)2009/07/04

 聿が部首であることを知る人は多くない。確かに筆にも律にも建にも津にも聿は構成要素として登場する。だが筆は竹冠(たけかんむり)、津は三水(さんずい)、律は行人偏(ぎょうにんべん)、建は廴繞(いんにょう)のはずである。これらが急に聿部に配置替えになることは考えにくい。
 実は聿を部首とする漢字はいくつもない。しかし覚えて欲しい字がある。厳粛とか粛々と言うときの粛である。今は部首内5画の略字を使うが、正字は部首内7画の肅である。他にも人名によく使われる肇がある。「貧乏物語」で知られるマルクス主義経済学者の河上肇はこの字を使う。そして読書家であれば知って欲しいのが肆である。店の意であり、書肆は書店、酒肆は酒屋である。
 ところで聿は単独でも使用され「イツ」という漢音をもっている。図示したのは現在の「ふで」が出来上がるより前の、ごく初期の時代の筆記具をかたどったものである。三千年以上前の殷の時代には既に毛筆の「ふで」が存在したというから、時代はさらに遡ることになる。この時代の主な役割は甲骨に吉凶を占うための卜辞と呼ばれる文章を刻みつけることだった。全くの想像だが原形は木片に近く、先は細く削られていて割れ目があり、そこに墨を染みこませることで筆記を可能にしたのではないだろうか。
 やがて細い竹の一方の端を叩いて細かく砕き、後に穂と呼ばれる部分の原形が発明される。これが竹筆である。そしてこの部分にもウサギ、ヒツジ、イヌ、ウマ、タヌキ、キツネ、シカなどの毛を用いる工夫が始まり、現代の「ふで」により近いものへと改良されてゆく。この過程で聿は廃れ、筆が取って代わるようになった。聿が筆記具として珍重された時代は今となってみればそう長くは続かなかった。だから「康煕字典」が編纂された清代には聿の字の使用頻度は低く、かろうじて部首には残ったものの、そこに筆や律の姿を見ることはなかったのである。
 なお他の部首に属する漢字に聿が用いられている場合、それらの全てが聿に該当し「ふで」の意を含んでいるかは精査してみないと分からない。例えば津の場合は聿ではなく専ら進の篆書体とする説が知られている。

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