◎補植風景--都会の田圃(8) ― 2009/07/13
人間にはずぼらと評される人もいれば几帳面と言われる人もいる。昔、数を頼みに大勢の人が田植えに参加した時代はその家の主人(あるじ)の性格によって、植えた苗の手直しや補植の風景は大きく違ったように記憶する。苗の間隔の調整に重きをおく人もいれば、本数を気にする人もいる。少ないと感じれば足し、多いと感じればその分を分けて別にする。だから仕事にはその人の美的な部分が否応なしに現れた。何でそんな面倒なことをするのだと聞かれても、それが米作りだからと答えるしかない。
大規模米作農家のことは知らない。しかし多くの先人達がしてきた米作りとはそのようなものであった。その人の性格が現れるほど多くの愛情を注いできたのだ。炎天下での田の草取りなど、一度でも経験した人でなければその辛さ、腰の痛さは分からないだろう。何も知らない人間が尤もらしく無農薬栽培などと口で言うのは簡単だが、それだけの努力を傾注して果たして作り手が報われるかどうかは甚だ怪しい。
無農薬の田圃は雀もよく知っていて、群がって襲いかかってくる。敵は稲熱(いもち)病やイナゴだけではない。誰かが守ってくれるわけでもない。時には時代遅れと誹(そし)られながら先祖から受け継いだ田畑を必死に耕し、自分達で考え守ってきたのが都市近郊の農業だ。徳さんも自分と家族のことを思えばこそできる仕事であって、決して商品化や現金化が主目的ではない。「うちはまだ一昨年の米を食べているんだよ」とは奥さんの言葉だ。いつ田圃が消えるかと案じられてならない。
大規模米作農家のことは知らない。しかし多くの先人達がしてきた米作りとはそのようなものであった。その人の性格が現れるほど多くの愛情を注いできたのだ。炎天下での田の草取りなど、一度でも経験した人でなければその辛さ、腰の痛さは分からないだろう。何も知らない人間が尤もらしく無農薬栽培などと口で言うのは簡単だが、それだけの努力を傾注して果たして作り手が報われるかどうかは甚だ怪しい。
無農薬の田圃は雀もよく知っていて、群がって襲いかかってくる。敵は稲熱(いもち)病やイナゴだけではない。誰かが守ってくれるわけでもない。時には時代遅れと誹(そし)られながら先祖から受け継いだ田畑を必死に耕し、自分達で考え守ってきたのが都市近郊の農業だ。徳さんも自分と家族のことを思えばこそできる仕事であって、決して商品化や現金化が主目的ではない。「うちはまだ一昨年の米を食べているんだよ」とは奥さんの言葉だ。いつ田圃が消えるかと案じられてならない。
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