○かぼちゃ(4)--夏野菜 ― 2009/07/04
南瓜の話は3回で終えるつもりだった。それがどこで間違えたか「えびすかぼちゃ」の話が江戸崎かぼちゃに飛び火し、栽培農家の紹介まですることになった。読み返してみると原因は文体にある。文体を間違えたために思わぬ寄り道をすることになった。一昨日、芽を出した南瓜の苗はあらかた抜いてしまうと書いたが、厳密には活かすものもある。昨日はその話をするつもりだった。
南瓜の栽培で助かるのは連作が利くことである。だから毎年、畑の隅でつくっても病気にもならず豊かな実りをもたらしてくれる。この丈夫さに目を付けたのがキュウリの台木に利用する活用法である。芽を出したキュウリの苗を南瓜の台木に接いでやる。こうすることで連作に強いキュウリを育てることが可能になる。
南瓜には他にもまだ有難いことがある。キュウリや茄子はなり始めたら毎日畑を見回らないとたちまち成長して巨大なキュウリや茄子が出来上がる。出来上がるだけではない。これが続くと親木を弱らせてしまう。その点、南瓜は無精な人向きである。2週間や3週間忘れていても、どうということはない。むしろ遅い方が完熟が進み甘くなる。実に有難い野菜である。
だが、こんな南瓜にも山間地の畑では最近、思わぬ敵が現れるようになった。ニホンザルの群れである。完熟前のまだ若い、皮も柔らかなものが持ち去られる。実際、南瓜を抱えて逃げるサルを見たことがある。畑から数十メートル離れた場所に穴をあけて食いかじった南瓜を見つけたときはがっかりした。一方、都会に近い畑ではカラスがトマトをつつき、西瓜を食い散らかすという。こちらの方はまさに完熟というその日の早朝に襲われる。被害を免れるためには一日早く収穫するしかない。どこに住んでも厭(いや)な世の中になったものだ。(終)
南瓜の栽培で助かるのは連作が利くことである。だから毎年、畑の隅でつくっても病気にもならず豊かな実りをもたらしてくれる。この丈夫さに目を付けたのがキュウリの台木に利用する活用法である。芽を出したキュウリの苗を南瓜の台木に接いでやる。こうすることで連作に強いキュウリを育てることが可能になる。
南瓜には他にもまだ有難いことがある。キュウリや茄子はなり始めたら毎日畑を見回らないとたちまち成長して巨大なキュウリや茄子が出来上がる。出来上がるだけではない。これが続くと親木を弱らせてしまう。その点、南瓜は無精な人向きである。2週間や3週間忘れていても、どうということはない。むしろ遅い方が完熟が進み甘くなる。実に有難い野菜である。
だが、こんな南瓜にも山間地の畑では最近、思わぬ敵が現れるようになった。ニホンザルの群れである。完熟前のまだ若い、皮も柔らかなものが持ち去られる。実際、南瓜を抱えて逃げるサルを見たことがある。畑から数十メートル離れた場所に穴をあけて食いかじった南瓜を見つけたときはがっかりした。一方、都会に近い畑ではカラスがトマトをつつき、西瓜を食い散らかすという。こちらの方はまさに完熟というその日の早朝に襲われる。被害を免れるためには一日早く収穫するしかない。どこに住んでも厭(いや)な世の中になったものだ。(終)
■焼け太り--新釈国語 ― 2009/07/04
火災による被害にもかかわらず、却って被災の前より経済的に裕福になること。火災に見舞われると火元か類焼か、全焼か半焼かの程度にかかわらず甚大な損失が発生するため再建には多額の費用と時間および精神的な負担を強いられる。ところが中には損失や被害の額を上回る保険金や補償金などを手に入れて新築や再建築を果たすことがあり、傍目には多くの面でむしろ以前より豊かになったとさえ思われる例まで出てくる。この表現にはこれを使う側の僻目(ひがめ)も含まれていることに注意しなければならない。
■総理の資質--新釈国語 ― 2009/07/05
内閣総理大臣に求められる最も重要な資質のこと。せめて常用漢字くらいは一通り読める人であって欲しい、言い訳がましいことは言わないなど多様な希望の聞かれる昨今ではあるが、総選挙の結果としてではなく単に前任者の都合でその職を引き継いだ場合は就任したら直ちに国民に信を問う勇気と度量とを最低限備えていることを指す。資質の問題はあくまでも政治家としての矜持を示すものであって、制度や法律によって云々するものではない。何よりもまず選ぶ側が、こうした視点を持つことが大事である。
○無駄花(1)--夏野菜 ― 2009/07/05
野菜の写真を整理していたら昔、母が「キュウリは無駄花が多くてなかなか実がならない」とか「南瓜も花はたくさん咲くが無駄花が多い」と言っていたのを思い出した。最近のキュウリは改良が進んで自花受粉するものが多くなったので以前のような無駄花は少ないという話も聞く。しかし南瓜の場合は雌花と雄花の区別がはっきりしていて、決して雄花に実のなることはない。もっぱら授粉役に徹している。
実を付けない雄花は時に無駄花と呼ばれることもあるらしい。少なくとも辞書にはそのように書いてある。無駄花を引くと「特に、雄花のこと」(大辞林)とか「雄花の称」(広辞苑)などとあって、ちょっとイヤな気分にさせられる。南瓜の雌花だって雄花があるからこそ受粉ができ、実も付けられるのだ。ハチが飛んできても、人間が授粉に手を貸しても、それでも受粉できずに腐ってしまう雌花のことは棚に上げて、雄花だけを一方的に無駄花呼ばわりするのは明らかに自然の摂理に反している。
ということで今日は南瓜の雄花に成り代わって、彼等の心情の一端を吐露した。写真は憤慨する雄花君を真上から撮したものである。
実を付けない雄花は時に無駄花と呼ばれることもあるらしい。少なくとも辞書にはそのように書いてある。無駄花を引くと「特に、雄花のこと」(大辞林)とか「雄花の称」(広辞苑)などとあって、ちょっとイヤな気分にさせられる。南瓜の雌花だって雄花があるからこそ受粉ができ、実も付けられるのだ。ハチが飛んできても、人間が授粉に手を貸しても、それでも受粉できずに腐ってしまう雌花のことは棚に上げて、雄花だけを一方的に無駄花呼ばわりするのは明らかに自然の摂理に反している。
ということで今日は南瓜の雄花に成り代わって、彼等の心情の一端を吐露した。写真は憤慨する雄花君を真上から撮したものである。
■手段を選ばず--新釈国語 ― 2009/07/06
手段とは、目的をとげるために採用する様々な方策のこと。手段を選ばずは、目的のためなら何でもすることをいう。来期も引き続き社長の職を続けたいと強く願う人が他の役員に金品を渡して自分を推してくれるよう頼み込む、有力候補を追い落とすために悪い評判を流すなど、時には法に触れるようなことまで行ってしまう。多くは哀れなサラリーマンか政治の世界の話であり、サラリーマンには学長も理事長も組合長も会長も月給をもらう人はみな含まれる。そうまでして「長」になりたいのか、「長」とはそれほどまでに魅力あるものなのかと不思議でならない。「○○褒章がもらえる」などと真顔で言われると返す言葉がない。政治の世界については項を改めて触れることにする。
○無駄花(2)--夏野菜 ― 2009/07/06
今日の写真は7月2日の南瓜とは別物だが同じく雌花である。真上から覗き込むように撮影した。中央に見えるのが雌しべである。好天に恵まれ運良くハチが飛んでいれば、雌しべの中に雄しべの花粉が落ちて受粉は成功するだろう。そうなれば、この筒型の底部は7月3日の写真に写っている、出臍(でべそ)のような突起状に変わる。大きな出臍の南瓜もあれば普通の臍の南瓜もある。
しかし開花時に雨が降るのは困る。この花には雨水こそ溜まっていなかったが、マルハナバチの飛来が少ないと気を揉んでいるところへ雨が降り出してはまさに弱り目に祟り目だ。泣きっ面にハチでもいいから来て欲しい。そうでないと私も無駄花になりかねない。せっかく築き上げた人間さまの信頼を裏切ることになる。無駄花の仲間入りはしたくない。
と、今日は昨今の雌花の気持を代弁してみた。人間界でも最近は「娘がいい、子どもは女の子に限る」と宣(のたま)う親御さんが多いとか。だが娘の側にしてみれば、それはそれで自分の老い先まで考えたら手放しでは喜べない気分だろう。(つづく)
しかし開花時に雨が降るのは困る。この花には雨水こそ溜まっていなかったが、マルハナバチの飛来が少ないと気を揉んでいるところへ雨が降り出してはまさに弱り目に祟り目だ。泣きっ面にハチでもいいから来て欲しい。そうでないと私も無駄花になりかねない。せっかく築き上げた人間さまの信頼を裏切ることになる。無駄花の仲間入りはしたくない。
と、今日は昨今の雌花の気持を代弁してみた。人間界でも最近は「娘がいい、子どもは女の子に限る」と宣(のたま)う親御さんが多いとか。だが娘の側にしてみれば、それはそれで自分の老い先まで考えたら手放しでは喜べない気分だろう。(つづく)
◎都会の田圃(1) ― 2009/07/06
先月の初め、連載で「田圃のある風景」をお届けしました。信濃路の山里の風景を写真とともに紹介したものです。今度は都会の田圃をお目にかけましょう。都市化が進み、都市近郊の農村風景はすっかり変わってしまいました。かつてそこが田圃や沼地だったことなど全く知らない人々が家を建て、その上で暮らしています。それを知る人も知らぬ人も、日本の原風景のひとつとしてご覧いただければ幸いです。
第1回は代掻きの風景です。さすがに馬は登場しませんが、今ではもう懐かしくなった耕耘機が活躍しています。米作地帯で見るようなトラクターを使う農家はまずありません。つましく細やかに、しかし先祖から受け継いだ地はしっかりと守りながら暮らしています。
なお先月の連載は次の頁から始まり6月9日に終了しています。いずれ、その続きも掲載の予定です。
⇒http://atsso.asablo.jp/blog/2009/06/04/ 夕暮れ--田園のある風景
第1回は代掻きの風景です。さすがに馬は登場しませんが、今ではもう懐かしくなった耕耘機が活躍しています。米作地帯で見るようなトラクターを使う農家はまずありません。つましく細やかに、しかし先祖から受け継いだ地はしっかりと守りながら暮らしています。
なお先月の連載は次の頁から始まり6月9日に終了しています。いずれ、その続きも掲載の予定です。
⇒http://atsso.asablo.jp/blog/2009/06/04/ 夕暮れ--田園のある風景
○無駄花(3)--夏野菜 ― 2009/07/07
これぞ無駄花、無駄花の女王、無駄花王(キングス)とも言うべき存在を忘れていた。漢名を馬鈴薯(ばれいしょ)、和名をジャガ芋という。茄子(なす)の仲間だから花も付けるが、実がなるわけでもない。あるいはなるのかも知れないが未だに見たことがない。
子どもの頃、親の手伝いで種芋の植え付けもしたし収穫もした。ただ畑が遠かったせいか花を見る機会がなかった。収穫時、茎はほとんど朽ちていた。残った根元を頼りに遠くから軽く鍬を入れ持ち上げた。あまり近くに入れると芋を傷つけた。せっかく育った芋に申し訳が立たない。
長じて自分の手で初めて栽培したとき、話には聞いていた花を見た。そして花が終わるのを待って鍬を入れた。ずいぶん待たされた気がした。ある時、その話を親にしたら「花は関係ない。むしろ摘んでしまった方がよい」と言われた。根元に蓄えた澱粉(でんぷん)の固まりが芋である。ジャガ芋は澱粉そのものだから実はかなり早い時期に掘り採ることもできる。大きく成長したものから順に掘り採って食べてゆく。これを探り芋と呼ぶそうだ。(つづく)
馬鈴薯(いも)の花 紫ぎしぎし あっちこち まさと
子どもの頃、親の手伝いで種芋の植え付けもしたし収穫もした。ただ畑が遠かったせいか花を見る機会がなかった。収穫時、茎はほとんど朽ちていた。残った根元を頼りに遠くから軽く鍬を入れ持ち上げた。あまり近くに入れると芋を傷つけた。せっかく育った芋に申し訳が立たない。
長じて自分の手で初めて栽培したとき、話には聞いていた花を見た。そして花が終わるのを待って鍬を入れた。ずいぶん待たされた気がした。ある時、その話を親にしたら「花は関係ない。むしろ摘んでしまった方がよい」と言われた。根元に蓄えた澱粉(でんぷん)の固まりが芋である。ジャガ芋は澱粉そのものだから実はかなり早い時期に掘り採ることもできる。大きく成長したものから順に掘り採って食べてゆく。これを探り芋と呼ぶそうだ。(つづく)
馬鈴薯(いも)の花 紫ぎしぎし あっちこち まさと
■目配り--新釈国語 ― 2009/07/07
四方八方は無論のこと、時には物の裏側や上側下側にも注意を向けて平穏無事か、何か悪い兆候が現れていないか隅から隅まで見落としがないよう常にひとつひとつ確かめること。目とは眼の意、眼は視力と同時に心の働きをも表す言葉。見える場所、視野に入る場所だけを眺めるのでなく、通常では見えない場所や気づかないところにも注意を向け、さらには相手の心の微かな動きをも察知できるよう普段から心がけることをいう。
目配りは企業などの幹部社員、大衆を代弁する政治家などに不可欠の資質である。目配りを怠ると組織内に不満が増えて能率が下がり、品質管理や顧客へのサービスも低下するため社会的な信用も低下する。株主の目配りも欠かせないが、それを活用しようとする経営者はそう多くない。政治家の場合は政策がちぐはぐなものとなり、有権者の信頼を失う。非力な総裁が大家から派遣された幹事長の発信力不足を理由にこれを交替させようと思案するなどは単なる認識不足に因るものであり、目配り以前の問題である。
なお目配りは一般の公務員にも当然必要な資質だが、公僕意識が希薄な現状では保身だけを目的としたものになりやすい。これをどう改革するかは大きな政治課題であり、国の借金解消策とも深く関わっている。国民の目配りが試される課題でもある。
目配りは企業などの幹部社員、大衆を代弁する政治家などに不可欠の資質である。目配りを怠ると組織内に不満が増えて能率が下がり、品質管理や顧客へのサービスも低下するため社会的な信用も低下する。株主の目配りも欠かせないが、それを活用しようとする経営者はそう多くない。政治家の場合は政策がちぐはぐなものとなり、有権者の信頼を失う。非力な総裁が大家から派遣された幹事長の発信力不足を理由にこれを交替させようと思案するなどは単なる認識不足に因るものであり、目配り以前の問題である。
なお目配りは一般の公務員にも当然必要な資質だが、公僕意識が希薄な現状では保身だけを目的としたものになりやすい。これをどう改革するかは大きな政治課題であり、国の借金解消策とも深く関わっている。国民の目配りが試される課題でもある。
■造反--新釈国語 ― 2009/07/07
政党など既成の組織内において組織のあり方や運営方法に異を唱えたり、執行部の方針に対して逆らったり抵抗を試みたりすること。造反は中国では死罪に相当する重罪だが、日本では比較的軽い意味で用いられる。特に1966年に始まる中国のプロレタリア文化大革命の中で学生中心の紅衛兵が「造反有理(反逆に道理あり)」をスローガンに用いて以後、日本でも若手と呼ばれる政党人の間で使われる機会が増えた。大企業や霞ヶ関にも若手は多いが彼等に感染する気配は未だ見られない。
最近のコメント