予報と予想(1)2009/03/01

 ある言葉から受ける印象、あるいはその言葉が与える感じ、これが語感である。耳で聞いたか目で見たかを問うことなく一律に語感と呼び習わしている。しかし日本語の場合、耳で聞いて受ける印象と目で見て感じる印象ではそれらを生み出す原因にかなりの差がある。耳で聞く場合は音の響きが中心になり、目で見る場合は文字の種類や長さなどが影響する。音の響きが語呂や語調といった純粋に音だけの問題ではない点にも注意を向けたい。その言葉との接点や言葉の使用環境など大脳に蓄積された過去の言語経験が大きな影響をもつ。それだけ時代や世相の影響を受けやすくなる。
 具体的に予報と予想の例で検討してみよう。両者の差は文字面だけ見れば「報」と「想」の差である。が、それでは予報に含まれている予想の部分を見落としてしまう。天気予報に縁の深い法律「気象業務法」の定義(第2条)にもあるとおり予報とは「観測の成果に基く現象の予想の発表」を指す言葉である。予報の前提にはちゃんとした「現象の予想」がなければならない。発表するに足る中身があって初めて予報も注目されるものとなる。とは言え予報も予想も、これから起こることをあれこれ予測してひとつの結論を導き出すという共通の過程をもっている。何かを予想する点では全く差がない。