氷のように冷える2009/03/28

 桜は咲き始めたが、このところの夜の冷え込みは格別だ。日中も吹く風が冷たい。倉橋由美子の小説「夢の浮橋」ならまだ3月も初めだから「嵯峨野は地の底まで冷えこんで木には花もなかった」でよいのだが、来週はあちこちで入学式も始まろうというこの時季になってこれだけ冷え込むのは尋常ではない。今年の花冷えは「眠狂四郎無頼控」(柴田錬三郎作)の「花見の季節が来ていたが、夜半は、まだかなり冷える」どころではない気がする。
 ところで「冷える」という言葉の古い形は「ひゆ」である。「ひ」とは氷の意であり、「あたかも氷に囲まれているかのように徐々に気温が下がってゆく」ことを指している。文法書風に言えば「ゆ」は自発を表す助動詞ということになる。こうした原義を考えると尾崎紅葉が「多情多恨」に記した「氷のやうに冷えて」という描写は、古代人なら「馬から落ちて落馬して」並みの屋上屋を架すに等しい表現と笑うかも知れない。
 暖房に囲まれて暮らす現代人にとって「冷えますね」から即座に氷を連想する人も連想できる人もまずいないだろう。それに、これは病気で亡くなった妻の最期を思い出しての記述である。死後の体温は時間が経つにつれて下がり、徐々に外気の温度に和(か)してゆく。暖房のない広い座敷の真ん中で布団に横たわる故人の手や足は想像以上に冷えている。そこには手を握ったことのある人でなければ分からない、喩えようのない冷たさがある。