◎白梅姉弟その後2010/01/24

 先週20日に終了した白梅日記の後日談をお伝えしましょう。春の陽気に浮かれ出した寒梅姉弟ではありますがメジロ君の話によると、やはり相当な大騒ぎをした様子です。「あの後いきなり浮かれ出してさ、細い枝の上でひしめき合って次々に花を開くものだから、押しくらまんじゅうでも始めたのかと思っちゃった」と、話してくれました。

   ⇒http://atsso.asablo.jp/blog/2010/01/18/4821267 白梅日記14

 それからもうひとつ、老主人宅では昨日昼に縁側で花見の宴が催されました。集まった老人連は最初のうちこそ硝子戸の外に咲く白梅に目をやっていましたが、そのうちに手拍子が始まるともう外を眺める者はいなくなりました。硝子戸を挟んで内も外も大変賑やかな一日でした。


 それと、例のコシノカンバイの謎が解けました。縁側に置かれた文机の上に一升瓶が載っていて、その瓶には梅の花の描かれた黄色の紙が貼ってありました。どうやらそこに描かれた古木の梅をコシノカンバイと呼んでいるふうでした。確かに梅の絵が記され、真ん中に白い花びらのような大きな輪があって、墨で認(したた)めた「越乃寒梅」という大きな文字が見えました。

 面白いのは瓶の水が減るにつれ、老主人も友人連も段々顔に赤味が増してゆくことです。そして益々陽気になってゆきました。これを見たメジロ君は早速「寒紅梅さんに、この発見を知らせなくっちゃ」と張り切っていました。

◎大根・おほね 時代と言葉022010/01/24

 ダイコンは庶民には馴染みの深い野菜である。だが、その由来については必ずしも明確ではない。中国を経て伝わったという説にしても、伝わったものと現在の品種との関係がある程度明確でなければ俄(にわか)に信じることはできない。最近は説明責任などという言葉が新聞でも放送でもインターネットでもまるで当たり前のことのように使われたり主張されたりしているが、その同じメディアに、どう見ても説明責任を果たしているとは言い難い怪しげな語源説明が溢れている。


 これに対し「おほね」という大和言葉に中国渡来の漢字から「大」と「根」を選んで宛てていたものが定着し、後に音読みされるようになって「ダイコン」に変じたという説にはそれなりの説得力がある。しかしそれでも、渡来したダイコンと「おほね」の関係については相変わらず不明のままである。それどころか日本列島にも古くからダイコンの原種に近いものが存在していたのではないかとさえ思われてくる。


 大和言葉の「おほ」とは数・量・質の多いこと、すぐれていることが原義である。おほうみ(大海)、おほぢ(大路)、おほづつ(大筒)などがこの例に当たる。但しこの場合でも大筒が意味するものは時代により異なっている。かつては孟宗竹などを伐って作った酒器を指す言葉であったが、後に大砲が登場すると専らこれを指す言葉に変わってゆく。時代が変化する中で言葉の示す範囲が押し広げられ、やがて指し示す対象までが入れ替わってしまったのである。


 同じことが「おほね」でも起きていないという保証はない。万葉仮名で「於保禰」と記されるものが、古代にあって常に同一の事物を指していたと安易に考えるのは疑問である。その「ね」が食用植物の根でなくても大きくて立派であれば「おほね」だろうし、木々の根っこだって大きなものは「おほね」と呼ばれただろう。この語を現代のダイコンに通じる野菜と結びつけるためには、まだ幾つも大事な作業が残っているのである。

◎季節の言葉 寒椿2010/01/24

 寒梅と同様、これもまだ寒い冬のうちに咲き出す早咲きの椿をいう。季題には冬椿もよく用いられる。多くの椿が春の到来とともに咲き出す中で、伊豆大島や関東の海岸近くでは年末や新年早々に咲き始める。時には霜が降りたり零下を記録するような寒い朝でも健気(けなげ)に咲く姿を目にすることがある。そのためか華やかさよりも感じるのはむしろ、いじらしさだろう。

  日当たらぬ木の間に咲きぬ冬椿 虚子