◎言葉の詮索 日溜まり 22010/01/13

 「広辞苑」の説明では不十分だが、さりとて「大辞林」の説明をそのまま借用するのも気が引ける。その結果が「狭い範囲についていう」という抽象的な付加説明になったのだろう。だが「公園の日溜まり」という単純な作例では、公園の中のどのような場所がこれに当たるものか読者には見当が付かない。これを示す用例があって初めて及第点に達する。

 では、どのような用例が理想だろうか。例えば高見順の短編「軽い骨」の冒頭に次のような一節がある。(「ぬかが」には傍点あり)

 サナトリウムのその二階の窓は、コスモスの咲いた庭をへだてて、雑木林の崖に向つてゐた。窓と崖のあひだの空間に、秋の陽が、しーんと差してゐる。そのあたたかい陽だまりのなかを、夏の黄昏の、あのぬかがのやうな小さな虫が、ゆるやかに飛び交うてゐる。(「新潮」昭和29年1月号)

 これを読むと、日溜まり(上記の例では「陽だまり」)がサナトリウムの建物と崖の間にできた空間であることが理解できる。そこにはコスモスが咲き、いかにも穏やかで暖かそうな場所だという感じが伝わってくる。「大辞林」に付けられた「建物などが風をさえぎり、吹きさらしでない場所についていう」は、こうした場所を一般化した説明と言える。後段を「吹きさらしにならない限られた空間をいう」と改めればさらに得点は上がるだろう。(了)


○白梅日記092010/01/13

 今日は夜が明ける前に、東の空から細い月が昇りました。よく晴れた一日でした。しかし西北から冷たい風が絶え間なく吹いていて、暖かいと感じたのは月の出から日の出の頃と、昼過ぎの一時(いっとき)だけでした。それでも昨日お目にかけた近くの枝の姉花は朝からそわそわしてお披露目の準備に追われていました。


 どの枝にも開花一番乗りの兄姉がいて、老主人はまるで賤ヶ岳七本槍のようだと喜んでいます。が、私たちには何のことやらさっぱり分かりません。一斉に咲き始めた10日には3輪が競い、その後を4輪が追って、さらに写真の姉花が続きます。他にも我先にと開花を急ぐ兄姉が大勢います。きっと大寒の頃には枝という枝に白妙の花々が咲き揃うことでしょう。

  隈ぐまに残る寒さやうめの花 蕪村

 ただ、あまり急ぐのも考え物です。蜂も飛ばない寒い時期に無理をして咲いても、実を結ぶことができないからです。白妙の重ねの花びらを褒めそやされるのも悪くはありませんが、枝先の蕾に生まれた以上やはり最後は見事に実を結んで生涯を閉じたいものだと私たちの枝では話し合っています。