◎言葉の詮索 季節外れ 32010/01/28

 かつてはトマトも胡瓜も夏の野菜であった。夏に食べるからこそ清涼感も季節感も感じられる食べ物であった。しかし農業技術や栽培技術の向上は今やトマトも胡瓜も一年中、盆も正月もなく口に入る野菜に変えてしまった。初めのうちこそ季節外れの野菜出現に珍しさを感じ値段も高めであったが、大々的に出回るようになると珍しさは消え、珍しさによる付加価値も失せてしまった。


 これらの野菜に感じてきた季節の訪れを、人間はみずからの手で奪い去ったのである。旬を無視して一つの野菜を大量に供給することの結末がここには明確に示されている。確かに食料の増産には役立つし、一時的には付加価値も高まる。だが野放図に供給を続ければどうなるかも教えてくれる。


 旬を破壊すれば、旬の存在によって維持されてきた季節を感じる心も、季節がつくりだす生のリズムも全て失われてしまう。欲に駆られた行為の末に待ち受けるものが人間生活の豊かさでも、明るい未来でもないことをトマトと胡瓜の例は示している。人為的な季節外れの演出には何よりも節度が欠かせないのである。(つづく)