◎言葉の詮索 季節外れ 22010/01/27

 こんなことを考えたのは金柑が晩秋の季語に分類されていることを知ったからである。確かに寒中の金柑はやや熟し気味のような気もするが、それでもなぜ初冬ではなく秋なのか疑問に思ったからである。因みにミカンは冬の季語であり、柑橘類の多くが夏みかんを除いては冬の季題にされている。なぜ独り金柑だけが秋なのか。

 そこで記憶をたどりながら昨年の写真を調べてみた。するとまず10月の中旬に撮したものが出てきた。まだ青々としている。青切りみかんならいざ知らず元々が小粒の金柑の場合、この状態で一人前扱いするのは無理だろう。冬の始まりを意味する立冬は暦の上では11月の上旬に当たる。つまり俳句の世界では、この青々とした金柑を季題としていることになる。不思議ではないか。


 次に撮したのは11月の下旬である。都会の感覚では、ここまでがギリギリ晩秋と呼ぶことのできる季節だろう。だが暦の上ではこの時季は小雪に当たり、すでに冬に入っている。それでも金柑の表面にはまだ僅かに蒼い部分が残っている。ミカンの場合はこれくらいの色のものから盛んに市場へ出回り始めるが、金柑の旬と呼ぶにはやや金色・オレンジ色が足りないと感じる。


 そうなると季節はどうしても大雪(12月初旬)を過ぎ、ますます冬至に近づいてしまう。12月以降の金柑でなければ金柑らしくは見えないことになる。昨年の金柑を基準に考えれば暦が妙だ不可思議だということになるし、逆に暦から見れば昨年は金柑の生育が遅かったのだろうということになる。


 元々が小粒の金柑は実も酸っぱく、これを生のまま食べる人は多くない。皮付きのまま煮て料理などに添えるか、砂糖や蜂蜜をたっぷり使った甘露煮にして食するのが一般的だ。つまり果物としてはミカンほどの人気がないのである。何より金柑を詠んだ作品の少ないことが、この辺の事情を率直に物語っている。どこを見ても阿波野青畝の「一本の塀の…」句ばかりである。であればこそここはやはり初冬の季語に改め、冬を彩る風物詩とするのが金柑には似つかわしい扱いと言えるだろう。(つづく)

  金柑は四つ子五つ子六つ子かな まさと

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