◆離婚件数の謎--新聞の不親切2010/01/15


 最近はほとんど新聞の夕刊を読まない。大抵のニュースは翌日の朝刊に、ほぼそのまま同じ内容の記事が掲載される。こうした変わり映えのしない、新聞の貧しい文章を晩と朝2度も読まされる愚に気づいて夕刊を手にする習慣は失せてしまった。だが一昨日はたまたま外出し、帰りがけの車内で久しぶりに夕刊と再会した。

 その中に「特集ワイド」と銘打った、女性と思われる記者の署名記事があった。中身は近年、離婚のマイナスイメージが薄れ、お手軽離婚が増えているといった当世離婚事情を取材したもので、やや同性には厳しいと思われそうな内容であった。

 離婚の原因とされる個々の問題については改めて触れることにして、ここでは読者が果たしてこの記事に合点しただろうかと感じた部分があったので紹介してみたい。気になったのは具体的な離婚件数に触れた次の箇所である。前置きも大事なので少し長くなるが、連続する2つの段落から関連の箇所を抜き出してみる。

 厚生労働省の人口動態統計によると、08年の離婚件数は25万1136組、(中略)02年の28万9836件以降6年連続で減少傾向にある。ところが、09年は08年を約2000件上回り、7年ぶりに増加に転じると推計されている。
 特徴的なのは35~44歳のいわゆるアラフォー世代が多いことだ。同居をやめたときの年齢別離婚件数の統計で、離婚件数がほぼ同じだった99年と08年を比較すると、男性は4万7141件から5万9124件で約1万2000件増加、女性も4万2251件から5万8608件で約1万6000件増えている。(毎日新聞・2010.1.13・夕刊 p2)

 結婚というのは「戦前も戦後も一組の男女によって行われ、離婚は一組の男女が結婚関係を解消することだ」と、ごく普通に考えている読者にとって男女を分けて記載された性格の異なる数字の組合せはどう映っただろうか。記事を目にした人の多くが、これらの数字をいぶかしく思ったのではないだろうか。

 これらの数字を理解するポイントの一つは「アラフォー」という耳慣れない言葉の理解にある。この言葉を知っているかどうか、知らないまでも予測できるかどうかに依るところが大きい。しかし数字には別の意味も読みとれる。記者が指摘する離婚件数の単純な増加とは異なる様相もうかがわせる。だがこの記事に、そこまでの深みはない。

 新聞社も団塊世代の退社が相次ぎ、世代交代は確実に進んだ。記者の平均年齢は下がり、その分だけ経験も思慮も分別も下がってしまった。記者の平均年齢が下がる一方で、逆に読者の平均年齢は上がっている。この事実に気づかず、自分の書いた記事が誰に読まれるかも忘れると、勢い独り善がりな記事を書く羽目になる。それを指摘し改めるのがデスクや校閲の仕事だが、ここでも確実に経験年数の低下は進んでしまった。思慮や分別の継承が途切れると、記事の劣化を押し止めることは難しい。


 写真は冬枯れの溜め池。江戸城外濠の一部でもあった赤坂溜め池辺りには、かつてはこうした風景が広がっていたことだろう。

  冬枯や芥(あくた)しづまる川の底 移竹

○白梅日記112010/01/15

 お気づきでしたか、昨日から少しずつ日の出が早くなっています。日の入りはすでに先月の半ば辺りから徐々に遅くなっていますから、これでまた昼間の時間が確実に延び始めたのです。まあ時には寒の戻りもあるかも知れませんが、その時はその時でしょう。今日も一日よく晴れました。午後には南西の風が吹き、だいぶ気温も上がりました。


 兄姉弟妹と「冬はもう終ったようなものだ」と話し合っていたら、異国には「冬来たりなば春遠からじ」と詠んだ詩人がいると、通りすがりの人が教えてくれました。寒中のような逆境に遭遇しても決して諦めず、何事も後ろ向きに考えるのでなく、春はまた必ずやって来ると信じて、希望を胸に、いつも前を向いて生きてゆきたいものです。私たちも遅いとか寒いとか色々言われたり感じたりしても、いつも夢の中に出てくるのは咲き揃った白い花びらいっぱいの枝と、その枝にたわわに実った大きな丸い、粒の揃った青梅の姿です。


 それから先ほどの異国の詩に関心のある方は是非、カナダはトロント大学図書館の下記のページにアクセスしてみてください。著名な詩の原文と詳しい解説に触れることのできる便利なサイトです。この詩 "Ode to the West Wind"(西風の頌歌)も紹介されています。「冬来たりなば…」は詩の最後70行目に登場します。全文暗誦できたら素晴らしいでしょうね。
 http://rpo.library.utoronto.ca/poem/1902.html Percy Bysshe Shelley (1792-1822)

○白梅日記122010/01/16

 梅は春の季題ですが、私たちのようにまだ冬のうちから咲き始めるせっかちな仲間も少なくありません。一番気が早いのは師走の声を聞くともう咲き始めます。俳句には冬至梅(とうじばい)という季語もあるそうですが、とてもそれでは間に合いません。あまり早く咲き出すと寒の頃には盛りを過ぎてしまいます。だから私たちとの咲き競べは気の毒だと、これもメジロ君が教えてくれました。


 寒の時期に咲くのは寒梅と呼ばれるそうです。先日、老主人がお友達に「遅くなりましたが、ようやく我が家の寒梅も二三輪咲き始めましたから例年通り今年もコシノカンバイで花見をいたそうと存じます…」と電話をしていました。例の姉花はこれを「腰の乾杯」と聞き違え、「ねえねえ腰で乾杯ってどういうこと。誰か分かる…」と周りの妹たちに尋ねていました。


 私たちの枝では、これを聞いた兄姉が笑い転げて思わず蕾を落とすところでした。兄姉が言うには、これは古新聞のような寒梅という意味だそうです。時々小さなトラックでやって来る塵紙交換の小父さんが古い新聞を集めて、確かに「コシ」と呼んだのを覚えています。道路に突き出た枝の兄姉も肯(うなず)いていました。きっと私たちのことを身内のつもりで「色のよくない古新聞のような梅ですが」と、謙(へりくだ)って言ったのでしょう。あまり誉められると咲きにくいものですが、古新聞が相手なら引けを取る気遣いはありません。心おきなく咲くことができます。

  寒梅の固き蕾の賑しき 高浜年尾

◎季節の言葉 寒紅梅2010/01/17

 寒中に咲く紅梅は寒紅梅と呼ばれ、澄み渡った青空に八重の花びらをパラボラアンテナのように向けている。空の青さは手が切れそうなほどに冷たい。眺めていると寒気が目を射すように襲ってくる。


 今年のセンター試験も今日で終る。各地の神社にはきっと神頼みの絵馬がたくさん奉納されたことだろう。子どもの数が大幅に減ったというのに大学の数はほとんど変らず、学部や学科の増設は相変わらず賑やかに繰り返されている。親の教育負担が軽減される様子もない。進学塾も補習塾も大学の予備校も依然として賑わっている。子ども達も忙しそうだ。

 ところがこれとは裏腹に、大学へ入る学生の学力や知識や教養は定年後世代から見る限り明らかに下がっている。きっと何か別の、老人世代には窺い知ることのできないものが彼等の頭の中を占領しているのだろう。不可思議な世の中だ。

  寒紅梅馥郁として招魂社 虚子

○白梅日記132010/01/17

 日記を続けるというのはなかなか難しいものらしい。昨日は老主人が花見の予定まで立ててくれたのに、その日を待たずに日記が終るかも知れない。大抵昼過ぎに見えるカメラマンが今日はいつもより遅れて日が傾き始める頃に現れた。そして撮影は大寒までだろう、と言い残して帰った。


 理由は教えてくれなかったが、どうも新年から目出度くない出来事が相次いでいるようだ。番外で顔を見せた寒紅梅の爺さんは昔は丁髷(ちょんまげ)姿の侍とも付き合っていたと噂される長寿の双幹梅だし、老主人が大好きな水戸の黄門様の本物を見たと自慢する臥龍梅さえあるというのに、人間は百年も経たないうちにほとんどが消えてしまう。


 今朝オギャーと生まれた赤ん坊でも女の子で86年、男の子なら80年は難しいと、老主人が「簡易生命表」と記された紙切れを眺めながら呟いていた。脚が地面に潜り込まず、あちこち動き回れるのは羨ましいとも思ったが、ただ寿命をそこら中に撒き散らしているだけの至極せっかちな生き物のようだ。

  寒の梅蒼空に浮く二三輪 滝春一

○白梅日記142010/01/18

 今日は日中よく晴れて、午後には久しぶりに弱い南風も吹きました。明後日の大寒を前に寒の緩みを感じる一日でした。また私たちの枝にもお尻のむずむず、身体浮き浮きの気分が戻ってきました。写真にもその様子が映っているのではないかと思います。この日記が後2日で終るかと思うと残念です。


 それからメジロ君が来て「お寺の梅はやはり冬至梅というそうだよ」と教えてくれました。今年は例年よりだいぶ遅れているそうです。メジロ君には、お寺の白梅の様子を写真に収めて届けて欲しいと頼みました。明日にでもお目にかけられると思います。


 しばらく寒かったお陰で、近くの枝の例の姉花はまだピンピンしています。ご当人は至って若いつもりのようですから、うっかり年増なんて言葉が耳にでも入ったら一悶着起こすに決まっています。私たちにとってはこれからが一番大事なときです。口は謹んで咲くことだけに専念するつもりです。

  早梅や受験日ちかき子の寡黙 中田樵杖

◆夜の梅 臘梅2010/01/19

 もう半世紀近くも前の話である。毎年、年の瀬が近づくと友人は母親に頼まれた御歳暮の手続きをするために田町から都電に乗り赤坂見附まで出かけた。目指したのは交差点を左に曲がって暫く坂を上ったところに店を構える名代の和菓子舗である。友人はここで、津軽にある何軒もの親戚のためにいつもの大きな羊羹を注文し、発送してもらっていた。同伴したのは大金を預かる友人を無事に店まで送り届けるためである。

 中には1キロを優に超えるあの大棹羊羹を2本も贈られる家があって、他人事ながら何人家族だろうかとか何日かけて消費するのだろうと要らぬ心配もしたことを覚えている。前置きが長くなったが、この羊羹の名を「夜の梅」という。知る人ぞ知る羊羹の王様ではないだろうか。

 こんな昔のことを思い出したのは数日前の黄昏どき近道をするつもりで、普段は足を入れることのない小路を抜けようとたまたま通りかかった家の前にほの白く咲くものを見つけ、これを白梅の開花と勘違いしたからである。ところが今日もう一度その小路を通ってみると、何のことはない夜の梅の正体はロウバイであった。夕闇がロウバイの薄黄色を白梅に見せたのである。(つづく)


○白梅日記152010/01/19

 お待たせしました。昨日から吹き始めた南風が、とうとう私たちの枝にも花を咲かせました。私の隣の姉蕾がまず開いたところをお目にかけましょう。ちょっと枝に隠れたところもありますがご容赦下さい。


 南風は昼前から微かに吹き始め、昼近くにはちょっと強まって、日が沈むまでそのまま吹いていました。皆浮かれて「春だ春だ、本物の春だ」と騒ぎ立てました。あっちの枝、こっちの枝とそれはそれは賑やかな一日でした。気温15度というのは桜さんも浮かれ出す暖かさではないでしょうか。


 明日で、この日記もお仕舞いだそうです。果たして私たちの何時の記録になるのか、今のところそれだけが気がかりです。お休みなさい。

  寒梅の咲いて何やらはげまされ 横井迦南

◎季節の言葉 冬至梅2010/01/20

 白梅日記に一二度紹介していただいたメジロです。白梅の蕾さんから頼まれた冬至梅の写真をお目にかけます。冬至梅は師走も終りに近い冬至の頃に咲く梅という意味です。物の本には八重が多いとか、薄紅色をしているとか記すものもあるようですが、この品種は昔からよく知られた五弁の花びらを付けます。


 この寺には「寅さん」の映画に出てくるような源ちゃんに似た寺男の小父さんがいます。しかし源ちゃんと違って働き者です。とても熱心に庭木や草花の手入れをしています。この樹は、その小父さんが30年ほど前に実生から育てた苗木が大きく成長したものです。初め5本の苗が芽を出し元気に育っていたそうですが、数年後には4本がどこかへ持ち去られてしまったと話してくれました。


 そういう人にはきっと仏罰が下って、今も地獄の閻魔様の前で責めを受けているだろうと思います。

  冬梅のひとつ二つは鳥の声 土芳

○白梅日記162010/01/20

 今日は大寒、暦の上では一番寒い日のはずです。しかし全くその反対でした。午前中は空に筋状の珍しい薄い雲がかかり、南西の暖かい風が強く吹きました。昼にはその雲も消え、日射しが眩しく感じられました。そして気温は午後に入って上がり続け、夕方お日様が傾く頃には何と18度近くまで達しました。コートを着ていた人は堪らず、脱いで手に持って歩いていました。まるで「北風と太陽」のお話に見るような一日でした。


 お陰で私たちの枝の姉蕾はすっかり開花し、「やっぱり大人はいいわね。どう、きれいでしょう」なんて気取っていました。私たち姉弟もみんな「今日中に咲こうよ」とか「慌てるなよ」とか大はしゃぎでした。写真は今朝10時半頃のものと思います。今日でこの日記もお仕舞いだそうですから、この間からお伝えしている近くの枝の姉花に加えて、他の枝の様子もご覧に入れようと思います。


 とにかくどの枝も天と地がひっくり返ったような大騒ぎです。暖かいを通り越して、何だか蒸れてしまいそうです。とても蕾なんか付けて澄ましていられる寒さでも涼しさでもありません。もう真夜中のはずですが、今も南西の強い風が吹いています。さきほど私たちを見に来られた年配の方が「まるで4月のお花見の陽気だね」と仰っていました。大急ぎで蕾を脱ぎ捨てようと、あっちの枝でも、こっちの枝でも相変わらず妹弟たちが懸命に蠢(うごめ)いています…。ご愛読有難うございました。(了)

  練馬野に藁屋根のこり梅早し 中島よしを