■下衆(3)2009/09/24

 例えば「下衆の勘繰り」を「大辞林」で引くと「品性の卑しい者はひがみっぽくて、物事を悪く考えがちである。また、その邪推」と説明されている。下衆の意が単なる身分の貴賤ではなく、品性の問題にまで拡がっている。身分賤しい者は、その気持・精神・思考までも賤しいのだと拡大解釈されている。この解釈が富める者の立場からなされたものであること、そして貧しい者を自分たちの鏡のように見なして貶めている点に注目する必要がある。

 私たちは、こうした解釈拡大の背景にあるものが実は拝金主義であり成金趣味であると、十分には気づいていない。この1世紀余り、むしろその反対に考えて過ごしてきた。江戸時代まで、人々には拝金や成金を善しとせず、常に心のどこかで恥ずかしく思う気持が備わっていた。たとえ商人と呼ばれるような職業にあっても同様に保持されていた。

 ところが時代が明治に変り、それが資本という新しい言葉に置き換えられた途端に、みなその意味が分からなくなり、曖昧にされ、いつの間にか美化されて善いことだと教えられるようになった。官僚も企業も軍人も、アジア太平洋戦争の後は米国までが加わって、一層激しく唱えられるようになった。こうして富める者だけでなく、ついには貧しい人々の間にさえ拝金主義が蔓延(はびこ)るようになったのである。こうした風潮の果てにあって、落日の残光のように輝いたのが小泉内閣だったと言えるだろう。(了)

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