○秋茄子(2) ― 2009/09/25
そんな世の中だから今さら「秋茄子は嫁に食わすな」などと言ってみても始まらない。秋茄子を食べたければ八百屋でもスーパーマーケットでも、お金さえ持ってゆけばいくらでも手に入る。今はそういう何でも、お金お金の味気ない世の中になってしまった。戦中戦後の困窮を忘れ、あるいは忘れたふりをして、思い出したくもないとの理由で子にも孫にも伝えないまま、ひたすら経済復興と経済発展のみに専心してきた。そしてバブル経済を自演し、バブルがはじけても懲りることなく、今度は構造改革だの自己責任だの市場主義自由経済だのと小泉御輿を担いで浮かれてきた。
この先のことは分からない。分からないが、ダムを造れば、道路を造れば、芸術館を建てれば景気がよくなる・客が集まると浮かれるのだけは止めにしたい。そういう他人のお金を当てにする発想は止めて、いま自分が立っている足元をよくよく見つめてみよう。この先も自分の脚で、自分の力で立ってゆけるだろうか。
そして、言い古された諺でも何でも、先人の知恵が詰まっていそうなものは熟読玩味し、身体が動くうちは額に汗して働こう。飽食を止め、貿易などという怪しげな言葉を使って他国の食料を掠め取るのも止めよう。隣近所を大切にし、どんなときでも仲良く突き合うことを考えよう。みんなで助け合うことを考えよう。自分の住んでいる土地・地域に根を張って、踏ん張ることを考えよう。いつまた大地震が来るかも分からないのだから。
と、ここまで書いて、もう一度秋茄子と嫁の関係に話を戻すことにした。物の本に依れば諸説あるらしく、定かでないと記されている。一体全体、定かでないとはどういうことか。定かでないものが、何を契機に、どこで生まれ、どうして今日まで生き延びたのだろうか。不思議ではないか。(つづく)
秋茄子のいよいよ終る花少し 星野立子 ※原文のいよいよは繰り返し符号
この先のことは分からない。分からないが、ダムを造れば、道路を造れば、芸術館を建てれば景気がよくなる・客が集まると浮かれるのだけは止めにしたい。そういう他人のお金を当てにする発想は止めて、いま自分が立っている足元をよくよく見つめてみよう。この先も自分の脚で、自分の力で立ってゆけるだろうか。
そして、言い古された諺でも何でも、先人の知恵が詰まっていそうなものは熟読玩味し、身体が動くうちは額に汗して働こう。飽食を止め、貿易などという怪しげな言葉を使って他国の食料を掠め取るのも止めよう。隣近所を大切にし、どんなときでも仲良く突き合うことを考えよう。みんなで助け合うことを考えよう。自分の住んでいる土地・地域に根を張って、踏ん張ることを考えよう。いつまた大地震が来るかも分からないのだから。
と、ここまで書いて、もう一度秋茄子と嫁の関係に話を戻すことにした。物の本に依れば諸説あるらしく、定かでないと記されている。一体全体、定かでないとはどういうことか。定かでないものが、何を契機に、どこで生まれ、どうして今日まで生き延びたのだろうか。不思議ではないか。(つづく)
秋茄子のいよいよ終る花少し 星野立子 ※原文のいよいよは繰り返し符号
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